理系技術職15年。理系女子の働き方戦略
サラリーマン・理系技術職で15年働いてきました。いわゆる理系女子です。
学生時代から理系、機械系で、ずっとマイナーな存在でした。企業の技術開発職に就職し、職場でも「珍しい」と言われました。入社後ちょっと遠慮していたら、気を利かせた周囲のオジサマが「女子っぽい」仕事をおすすめしてくれました。きっとこういうことがやりたいんでしょ、って。でも自分のやりたいこととは違ったのです。
自分のやりたいことと、周囲が想像する「あなたがやりたそうなこと」が違ったとき、どうするか。
私は、遠慮することをやめました。やりたいことを周囲へ過不足なく伝え、自分のやりたいことと周囲の期待することをうまく合わせていく。そういう戦略をとっていくと、自然体でやりたいことをできるようになってきたように思います。
そんな私の働き方戦略を、大学時代から、サラリーマン時代まで。実践してきたことと意識の変化について、記事にします。
なんでいま記事にするの?
いま記事にする理由は2つ。私がいた職場は女子が少なすぎて、自分の経験が役に立ちそうな人は1〜2人。後輩に伝えきれませんでした。その反省が一つ目の理由です。
二つ目は、こうしてWEBの力を借りれば、情報や経験談を探している人に伝えることができるかもしれない。企業の「女性活用サイト」は、働いている側からみると、嘘くさい。美しすぎる。そうじゃない生の声を、伝えたいと思ったのです。
理系で、就職を考えている人、どうやって自分のキャリアを作っていこうか考えている人、企業に就職したけれど、どうやっていけばいいか模索している。そんなあなたへ、私の経験談が何か役に立てばいいなと思っています。もしかすると、伝えたいのは学生時代の自分なのかもしれません。もしかすると、性別に関係なくなにかのヒントになるかもしれない。長文ですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
学生時代は「理論重視」
大学進学のとき、工学部に進学しました。この時点ですでに少数派です。「なんで?」と聞かれます。このジャンルが好きだから、もっと勉強したいし、仕事にしたくて進学したのです。そして「女性が少ないけれど、大丈夫?」「はたらきにくいんじゃないの?」「結婚したらどうするの?」このことばも散々言われました。
若かったこともあり、「やってみないとわからないでしょ」と、すべての反対意見を適当にあしらい、進学先を決めました。勢いです。
女性が少ないジャンルにふみこむならば、どうするか。2本立ての戦略でいくことにしました。
①大学院まで進学:本気でやりたいことをしているというアピールのために、大学院まで進学することにしました。そこまで勉強してきたら、本気だね、と思ってもらえるかもしれない。学歴だけでその人の評価が決まるわけではありませんが、「勉強してきた」というほんの1側面のアピールとして、有効なところはあると思います。
②大学では、「理論」を学ぶ:大学のほうが強いのは、きっと理論だ と、予測しました。企業にいくときっと沢山経験が積める、企業は膨大な経験とデータを持っているはず。だから大学では、シミュレーションとか、数式を基にした理論を扱っている研究室を選びました。
後でふりかえると、この作戦は私によく合っていたと思います。そもそも、理論にあてはめたり、理論からずれる理由を考えるのが好きなようなのです。
どんな作戦をとるかは、「その人の得意なこと」「やっていて苦にならないこと」とからめて決めるのが良さそうです。
そして就職。職場で感じた「むずかしさ」
理論重視で学んできた学生時代。就職したら「実践」「実現象の近く」「現場のほう」に行くつもりでした。しかし、職場は女性割合が少なすぎる。おじさんたちは気を使ってくれる。自分はこのままではデスクワーク(設計業務)のほうに配属されそうだということに気づきました。ピンチです。
必死で、周囲にアピールしました。その甲斐があったのか、開発テストなどを行う「現場」のほうに配属してもらうことができました。
職場で「女子」は珍しい存在。おそらくオジサマにとっては扱いにくく、気を使う存在なんです。でも、この職場でいい仕事、やりたい仕事がしたい。周囲の気遣いに対して、素直に感謝の気持ちを持ちながら、過不足なく自分の希望も伝えて、お互いのバランスをとっていく作戦が必要だ。配属時の状況から、そう強く感じました。「過不足なく」がポイントです。でも、ちょうどいいのがどういう状態かなんて誰も教えてくれません。周囲を観察しながら、手探りで探していきました。
理論を学んだその後の「実践編」
現場に配属になり、自分の実技スキルのなさがよくわかりました。逆にいうと、自分にないスキル「試してみること」「作ってみること」が得意なおじさんが沢山いる職場で、学ぶことが沢山でした。
そんな人たちの中でやったことは? 「どうやって実現するか」「実際の現象はどうなるか」を素直に学び、そして、理論で裏付けの説明をつけていく作業をしました。おじさん達が経験では説明しきれなかったことが、説明できたこともあったはずです。周囲から学び、貢献しながら、自分の立ち位置をつくる、そんな仕事のしかたを作っていきました。
働き方も慣れてきた頃、妊婦になる
「残業大好き、仕事もおもしろい。スキルアップに時間は使う」これをモットーに過ごし、働き方に慣れてきたなと思っていた矢先、妊婦になりました。
どう周囲に報告しようかなと思っていた矢先、出血するトラブルがあり産婦人科に緊急入院。それまでバリバリ働いていたのに、急に2ヶ月、ドクターストップで入院〜自宅静養です。しかもつわりがひどい。食事もまともに取れない、何もできない。ただぐったりと寝ているだけ。
ようやく仕事復帰しても、今まで通りのように作業したり、出張に行くことができません(体調が悪い)。
女性ひとりの職場だったこともあり、周囲の人達はとても気を使ってくれました。
ありがたいのですが、私がこなしていたことを、他の人が代わりにやっているということです。その人に負担をかけていることになります。
どうにか、自分も、この状況でも貢献したい。
妊婦だから、できない(やりたくない)作業もある。
そして体調も悪い(つわりもひどいし、つわり後も体調がおかしい)。
薬品を扱ったり、重量物を扱ったりするのは子供への影響を考えると避けたい。
そこで、考えました。
デスクワークはできる。
資料まとめを作ることもできる。
皆の仕事がスムーズに進むような、
データを加工するツールを作ることもできる。
負担をかけている感謝の気持ちを伝えることもできる。
意外とありました、できること。
「自分ができること」
「みんなが欲しているけれど、時間がなくてやりきれていないこと」
ここに焦点をあてて、妊婦時代は仕事をすることにしました。
そして、産休に入りました。
産後、大改革が必要と悟る
育児休職1年とすこしを経験し、
不安と期待の混じる中、職場復帰をしました。
子供の保育園お迎えがあるので、定時に仕事をあがる生活のはじまりです。
夫が朝の保育園送り、私が定時にあがってお迎えという分担です。
子供と離れた、フリー時間ができると喜んだのもつかの間。
残業時間をつかってこなしていた仕事が、
残業時間がないから、終わらない。
「これじゃ何もできないよ!」という感覚に襲われました。
何かを変えないといけない。
まずやったのが、「自分は何に時間を使っているか」の把握。
就業時間中に何をしているのか、10分ごとに記録することにしました。
(エクセルで、1週間、10分ごとに書き込める表を作成)
すると、会議で50%くらいの時間を使っていること
に気づきました。
会議の時間が長かったり、
予定時間に終わらなかったりするとどんどん
自分の作業時間が減ります。
会議中に、「会議が終わったらすること」を
ノートにまとめて、やることを練ってみたり、
今月の予定を見直したり、
長い会議に緩急つけて出ることで、
できることはいろいろあることに気づきました。
そして、自分が会議を招集するときは、
出席者を吟味すること、内容を吟味すること
を行うようになりました。
会議以外に使える時間がどれくらいあるかが見えたので、
その時間で何をするのか、
不要なものはしないぞ!という意識ができました。
気が乗らなかろうと、重要なものからやる。だって時間がないから。
自然と、重要なものからやるようになったのです。
この効果は絶大でした。
次に情報収集経路を作った
とはいえ、定時に帰った後に行われた会議には出れません。
情報不足も感じました。疎外感ともいいます。
でも、ここで「あいつは定時に帰るから・・」という
言葉で自分の仕事を狭められたくない。
また、考えました。
帰宅後に行われた会議の議事録に目を通し、
気になる点は関係者に直接聞いてみる。
アンテナを高くして、「いないから知らない」とは言わせない作戦です。
社内の情報共有システムで使えるものはないか調べて
徹底的に活用しました。
探してみると、意外と情報収集経路はあるものです。
直接聞きにいくことで、人のネットワークも
大事にするようになりました。
帰宅後に、周囲の人が困らない環境をつくる
育児しながら働くと、子供の体調不良で
急に休んだり、早退することが多くなります。
自分が作業途中のデータは、共用データ置き場に置き、
不在だからと仕事が止まることのない状態にすることにしました。
仕事の進度も、複数人と共有し、急な帰宅(子供の体調不良)
でも周囲の人が困らない気遣いをしました。
保育園は、37.5℃以上の発熱があると、
預かってもらえません。
子供がいつ熱を出してもいいように、
提出物は余裕をもって提出するようになりました。
学生時代はいつも締め切り間際に提出していたので、
かなりの自己改革です。必要に迫られていなければ絶対しないことでした。
これで、周囲や上司の信頼を少しづつ得られるようになりました。
残業時間があればできるのにと思ったり、
自分がこれまでやってきたことを、
育休の間に誰かにとられているように感じたり、
葛藤がたくさんありました。
そして、少しずつ、対策をしていきました。
復帰2年目 ちょっと慣れて来た
自分の時間の使い方を記録することの効果は絶大で、
自分の所要時間をつかめるようになってきました。
つまり、マージンを持った 計画を立てるのが、
なんかうまくなってきたのです。
それに、 人に頼むのも上手くなりました。
誰に、何を、どう頼むとどれくらいで仕上がるか。
この読みもうまくなってきました。
計画を立てるコツは、
自分の所要時間を知ることと、
周囲の仕事計画を見据えて、遅れる要素を予測しておくことです。
あたりまえのことではありますが、
必要に迫られてやると、身につきやすいように思います。
それに、残業しないこと自体に慣れてきたので、
時間不足でイライラすることもなくなりました。
自分も慣れたけれど、周囲の人たちも慣れたようで、
時間になると「帰りなさい」と言ってくれるようになりました。
なんとありがたいことでしょう。
復帰3年目 軌道にのった
残業なしの働き方が軌道にのり、担当する仕事のヤマも来ていました。
でももう一人出産したい。
いつ妊婦になっても引き継ぎできるよう、資料作りや、業務分担の見直し
を行いました。
そして二回目の妊婦生活へ・・。
働き方改革に思うこと
このように働き方を見直してきて思うことは、
「必要がなければ、働き方改革はしなかった」ということ。
妊婦になったり、
保育園へのお迎えと子供と過ごす時間を確保したいことだったり、
そういうことがなければ、
きっと今もモーレツ社員のままだったと思います。
周囲にも、残業大好きな人はたくさんいました。
それが良いとも悪いとも思いません。
働き方は人それぞれ。
自分で考えて、選んで、工夫して、それぞれが満足できる働き方に
することが、働き方改革。
残業時間を減らすことだけじゃなくて、
なにか、その上の想いがあって実行するもので、
人に言われてやると定着しないんじゃないかなと、思っています。