この間 (2023年12月の記録)
午後3時を過ぎてから気温は下降に転じ、風も出てきた。空がずんずんと暗くなってゆく中、サンダルをつっかけ戸締りに出る。恐ろしいことに12月もあっという間に折り返しだ。
トイレの鍵を閉めて、鬼子母神堂へ。と、ふと視界の片隅にらしからぬ色が飛び込んだ。
お堂の前の水瓶の中、茶色の落ち葉たちが水を濁らせている。寒空を映したその水面にポツンと一輪、濃いピンクの椿の花が浮かんでいた。
自然のなりゆきでそこに落ちるような距離に椿の木はない。
もしかして、昨日の子どもかな?
お母さんと、お父さんと、小さい男の子がやってきて帰り際、水瓶を覗き込んでいたのを思い出す。
もしかして、いつもやってくる赤ら顔のおじちゃんかな?
それともそれとも、まさかとは思うけどヒヨドリさんかしら?
偶然か?いや、偶然もまた、何かの「えにし」であろう。
まあ、なんにも知る術はないけれど、兎にも角にもおかげさまで寒空の下、暖かい気持ちになりました。ありがとう。
どこのだれが見てるか僕らには分からないけど、きっと誰かが見てくれている。そう信じていたい。僕らのちっぽけな優しさが、僕らのちっぽけなユーモアが、どこかで誰かを和ませている。きっとどこかで誰かを救っている。
僕らはそれを知ることはできない。お礼も言われない。
そもそも別に意図的なことですらないかもしれない。
でも、今、僕が椿に気がついた。ということは、どこかできっと誰かも気がついている。そう信じることができる。
きっと案外そんな小さな小さなかけらが集まって僕らの幸せは形作られている。
そしてまた、一人で流す涙も、他の誰にも聞こえない歯軋りも、抱えた膝の冷たい感触も、同じようにどこかできっと誰かが。
僕が抱えたちっぽけな悲しみのかけら。同じ形のかけらを抱えて生きてるひとがどこかにいる。
そんな同じかけらを抱えた僕らはひとりぼっちじゃないと、そう信じることができるように。
きっと案外そんな小さな小さなかけらが集まって僕らの優しさは形作られている。
星たちが眠い目を擦る12月の空の下。ひとつひとつ。ぽつりぽつり。と、地上にも決して消えない燈が灯ってゆく。
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