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お茶のお稽古を始めて思うこと

最近、といっても一年ほど前からお茶を習い始めました。週一回、先生の自宅の茶室でゆるりとお稽古してもらっています。
始めようと思ったのも、所作や着物についても学べるかなと漠然と思っていただけで、ほとんどお茶に対する知識はなかったです。
作法がきっちり決まっていて厳しいと敬遠する人もいましたが、私は逆に知らなさ過ぎて、最初の一歩がすんなり出たのかもしれません。

毎回ではないけれど、着れるときは自分で着物を着てお稽古へ。
お稽古の時は色と柄はなるべく季節に合ったものを合わせてみたり、そのときどきで組み合わせを考えるのは難しいけど、その時間も楽しいなあと思ってます。
友達とお出かけの時は、和洋折衷にしたり、あまり季節の色とかはあまり気にしていませんが、、


お茶を習い始めるまで、お薄でも炉や風炉、お茶の入れ方も季節によって変わることも知りませんでしたし、季節の花や葉が、道の端や家の近くにこんなにたくさんあることにも気づいていませんでした。

そのちょっと季節を感じる瞬間とか、緑の色が濃くなったとか感じるとき、自分の心に少し余裕が出てきている気がします。

先生とマンツーだからかもしれないけれど、お点前で柄杓を構えるとき、お道具を清めるとき、静かなお茶室に香るお茶の香りや日差しを感じる時間がすきだなあと最近感じます。先生以外の人がいるとやっぱり緊張して、いろんなことを考えてしまうので、しばらくは人前でやるというよりも、その時間を楽しむことを優先してもいいかなあと思います。

勉強不足なのかもしれないけれど、自分はその空気が好きだなと認識したことは私の中では結構大きくて。

その季節の草花を知ること、移ろいを感じること、相手を慮ること、日々の日常を少しゆっくり考える時間をとれることが自分のなかで、リフレッシュの時間でもあるのかもしれません。

その時間を贅沢に楽しむのも一つ。
でもお稽古中に気にしなければいけないことは、お客様に気持ちよく過ごしてもらうにはどうしたらいいのかということで、それはお茶を通して人を楽しませるということ。

「相手がどうしてほしいと思っているのかを感じ取ること」
お煎茶を習っている知人が言っていた言葉で、その知人の先生がずっと言い続けている言葉だそう。お茶に限らず「相手を思いやる」だったり「相手のことを考えて行動する」ことは常日頃誰もが考えているんじゃ?
だから改めて言われても、いつも気にかけている気がするけどなあと思ったくらいでした。

でも、今回の初釜でなんとなくその言葉が自分の中に入ってきた気がしました。

初釜は新年最初のお茶会のことで、年が明けて今年のお稽古が始まりますよという会ですね。そんな新年皆さんの顔合わせの会で、おもてなしする側(亭主・お点前)として参加しました。

お薄席は二席あって、一席目は亭主として正客や皆さまとお道具やお茶など話をし、二席目はお点前をみなさんに披露しました。
人生初のお茶会で、しかも初釜。緊張もしつつ、初めてへの少しのわくわくと、楽しんでなんぼやってちょっとやけくそな部分と、ないまぜの状態で。

先生はお茶碗の説明は三椀目まででいいよと言っていたけれど、皆さん興味津々で、お茶碗の話やお菓子の話、お点前さんの話と盛り上がっているし、そのまま最後まで説明しつつ、一席目が終了。
相手がどうしたいと思っているのか、どうしてほしいと思っているのかをいかに先回りして動くことができるかが肝心だと言っていた、知人の言葉をここで思い出しました。

お茶会という場だからこそわかりやすいのかもしれないけれど、皆お茶やお菓子、お花やその空気感を楽しみに来ていて、
お茶をたてるタイミングはいつがいいのか、話の切り出し方や声のトーン、表情は何が今一番心地よいのか、その場その場で判断し動かなければいけない。
それはまさに、「相手がどうしてほしいと思っているのかを感じ取ること」

そしてこれはきっとお茶の教えであると同時に、日々の生活での指針でもあるんだろうなあと。習い事だからと分けて考えるのではなく、何を学んだとしても、あるものすべてに応用していくことが、自分の力になっていくんだなと思います。
きちんと茶道を習っている人からしたら、何を当たり前なことをと思われてしまいそうですが(笑)

ということで、自分の家でもお茶がたてられるようにマイお道具買いました!ちょっとずつできるようになっていると信じて!(笑)


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