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何でもかんでも悪霊や邪気のせいにする人達を、私が全然魅力的だと思わない訳
今回は、久し振りに霊能者や気功者の方達に付いて、私自身の見解を語らせて頂きました。
こうしたテーマは、今までにも過去のコラムで沢山お伝えして来た私なので、ちょっと懐かしさを感じた私でもあります。
最近はコロナやワクチン接種、そこから囁かれるシェディングというものを通して「悪霊」や「邪気」というものでそれらを解釈し、
そうした"個人の私見"で以って、他者を諭そうとされる方が非常に多くなった印象を持ちますが、
それはあくまでも「一つの見方」であって、全てではないという事を私は思います。
人間の人生から生まれ出る現象・事象には色々様々な面があり、一つの面だけで全ての回答が得られるものではありませんし、
故に「全ての人に当てはまる解決法」というものは無いという事を、私は常に思います。
私達が"何かに拘る時"というのは「そこから自分に学ぶべきものがある」からこそなのでしょうし、そこを通過し卒業しないと「次には進めない」という事がある様に思います。
私達はそれぞれが唯一無二の存在であるが故に、お互いにそれぞれ様々な価値観を持って人生経験を積む訳ですが、
お互いに「今自分が体験している経験を必要としない方達」というのも存在するという視野も、私は同時に持つべきだと思っています。
必要としない方達の中には「まだその段階に来れていない方達」もいれば、「とっくに過去に習得し、今回の人生では必要ない方達」かもしれませんし、
「今回の人生では逆の立場を経験して、自分と違う価値観を持った人達を理解する」という事がミッションなのかもしれません。
いずれにしても、それぞれ「自分にしか出来ない様々な経験」を通して"偏見"や"優劣思想"というものを無くして行くというのが、
私達がこの世でクリアしなくてはならない「魂の課題」になっている気が私は致します。