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犠牲と奉仕の違いから生まれる「人生の質」に付いて
今回は、久し振りに「犠牲」と「奉仕」に付いて、私の見解をお伝えしています。
尚、「犠牲と奉仕の違い」に付いては、かなり前にコラムとして執筆した記事のリンクを本文中に貼らせて頂いておりますので、そちらをご覧になって下さい。
人間の人生というものをクールに観察してみると、多くの方達が心の奥底で誰かや何かに対して怒りや不安や悲しみを感じていたり、
生きる喜びを感じられずに、苦しさのあまり、その穴埋めとなる様な"その場しのぎの興奮"を求めたりしている事が理解出来ると思います。
そして賢い方なら、支配層はその事を良く理解していて、3S政策というものを用いて私達一般大衆をコントロールし、この地球を支配して来たのだなという事も理解出来る様になると私は思います。
彼らが自分達に都合の良い観念を人々に植え付ける為に、多くは宗教や政治というものを通して私達人類に「犠牲は美徳である」と洗脳し説いて来たのも、
実は最初から彼らがこの星の支配者で居続ける為に、私達人類を奴隷=犠牲者として生み出したというベースが根底にあるからです。
そういう根に気付けば、彼らが構築した世間や社会というものから生み出される数々の価値観=集団意識というものが、如何に「犠牲をベースに成り立たせているものなのか」という事にもお気付きになると思います。
私達が無意識に「当たり前」と思っている事は、果たして本当に当たり前な事であるのかどうか。
そんな視野を持つ事も、お互い「自分の為の、強いては他者の為のより良い人生」を送る為には不可欠であると私は思う一人でしょうか。