見出し画像

近況と共に最近私が思う事 (11)


今回は、今の私が思う「3次元的な愛」と「5次元的な愛」の違いをお伝えしています。

今回の記事を書かせて頂きながら、昔誰かが「自分がベジタリアンであっても、もし自分が愛する人がお肉が好きだったら、お肉料理を作ってあげる事が愛なんだ」と仰られていた事を思い出した私なのですが、

私達が「愛」や「幸せ」と一括りにして表現するものにも、その方の生きる次元や生きたい世界によって「段階」というものがある様に思えている私には、この言葉は結構深いなぁと思えています。

そしてその理由は、今回の記事の中に書かせて頂きました。

私の経験から言わせて頂くと「本物の理解」とは、それまでの全ての点と点が一本の線で繋がるかの様に「自分の中で腑に落ちる様に、疑いなく納得出来るもの」であり、

故に「真理を理解する=自分の中から迷いが消える」という感覚を味わう瞬間でもあります。

反対から言えば、そうした感覚を味わう事の無い理解というのは、単なる「思考という頭での理解」に過ぎず、

そうした表面的な理解に留まる内は、外側から誰かや何かから与えられたものを、あたかも自分の頭で考えたかの様に錯覚してしまう"様々な考え"に翻弄されるだけであって、

結局そういう方達というのは"迷いの多い人生"となり、"あたかも賢く考えたかの様に思うだけ"の「同じパターンが繰り返されてしまう、常に元の木阿弥の堂々巡りの思考&人生」になってしまう様に私は思います。

ただ「自分の中から感覚で俯瞰で理解したもの」というのは、非常に個人的なものであり、こうして言葉という不自由なもので表現した所で、

今回私がお伝えしたい事が、それぞれの読者の皆様にどう届くかは私には正直分かりません。

今回はそんな事を思いながら、この記事を書かせて頂きました。どなたかの何かの参考になれば幸いです。


いいなと思ったら応援しよう!