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私が思う「真に魅力的な顔」に付いて語ります
今回は、昔から私が自然に視えてしまう「人相・顔相」というものに付いて触れています。
私には昔から「一瞬垣間見えるその人の顔相・人相からお人柄を読み解く」という感覚があるのですが、
でも多くの方達には「それは見えないものでもあるのだな」という事も同時に感じて来ました。
そこから私が思う事は「同じ時間を共有していても、微細な感性を持っていなければ、見過ごしてしまうものが多々ある」という事でしょうか。
微細な感覚とは「一瞬一瞬をどの様に集中し感じているか」という事なので、そこからお互いの時間の感じ方から生まれる「見えるものの違い」というものが、個々に生まれる様に思います。
つまり感じ方が粗ければ、それに比例して「見落としてしまう瞬間」というものは必然的に多くなるという事だと私は思います。
ちなみにこうした感覚は、何らかの修行の様なものを経験した方達が持てるものだとされており、
故にそうした"微細で繊細な感覚が研ぎ澄まされた人"というのは、自然体でいながら「他の人には視えないものをキャッチしてしまう能力を持っている」のだと私は思います。
つまり見ようとして視えるものではなく、「何故か視せられてしまう」という様な感覚でしょうか。そしてそれは或る種の「予知能力」というものに直結しているという事も感じます。
ただこの世界では、こうした「見えない世界を視てしまう方達」は非常に少ないという事も感じている私かもしれません。
一つ言える事は、真実というものは、この世で好まれる様な「多数決からは計れないもの」という事でしょうか。
ですので少数派である方達に取っては、「自分と同じ様な感覚を共有出来る人」というのは、お互い非常に貴重な存在に思えるという感覚が芽生えます。
私はそういう世界を知っている一人です。