様々な人間模様を観て私が思う事
今回は、SNSのみならず、私が実生活で拝見する様々な人間模様も含めて、私が感じている事をお伝えしています。
どうも人間という生きものは「シンプルな事をわざわざ複雑にする悪癖」というものがあるのだなという事を私は常々思います。
ちなみにそうした悪癖を生む根底には、例外無く「愛情飢餓」というものが有り、そこから生まれるエゴが私達の目を歪ませたり曇らせる故に、
多くの方達は「正しく物事が見れなくなってしまっている自分=真実をシンプルに真っ直ぐ見れなくなってしまっている自分」に気付けなくなってしまうという事が起こってしまうのでありましょう。
そして、そういう人間同士で「ああだ、こうだ」とお互い自分を主張し正当化する事で、この様な争い事の多い世の中になっている様に私は思います。
そうした人間模様を観察していると「お互いに自分の立場でしか考えない者同士だから起こる諍い=同じ穴のムジナ」という構図が私には視えて参ります。
自分の立場でしか物事を計れない時に、相手に文句や怒りや憎しみが湧いて来てしまうのが私達人間という事を思います。
ちなみに、自分の目を歪ませたり曇らせてしまう最大の原因は「根底に愛情飢餓を感じている自分の主観による私情を入れて物事を見る」という悪癖にあると私は思っています。
もう一つ私が思う事は、そうして相手に「思い遣りや愛が無い」と怒りを感じるという事は、反対から言えば「自分は相手よりも愛というものを知っている」という事でもあるのですから、
自分よりも愛を持てない相手に対し、怒っても嘆いても不毛なのではないかという事でしょうか。そして自分の方が相手よりも愛を持っているのだから、先に自分から相手に愛を与えてあげたらどうでしょうかという事です。
何故なら自分の目に映る相手は「自分の鏡」であるからです。
以前の記事でもお伝え致しましたが「自分が変化する事を拒否すれば、自分の鏡である相手が変化する事は永遠に無い」のですから、
もし相手に対して愛情深い人に変化してもらいたいのであれば、「まず相手より愛を理解している自分が相手に愛情を与える事」しか、私達は相手を変化させる方法は無いという事です。
自分が何も変わらないまま「相手にだけ自分の都合の良い様に変わって欲しい」は、この世では不可能であるというのがこの世の真理だからです。
今回の記事が、どなたかの何かの参考になれば幸いです。