60FPSから120FPSへと環境が変わりました。
2023年5月26日。5年2か月過ごした北海道は室蘭市から、実家のある東京へと帰ってきた。
無職からの脱却。核となる東京帰還ミッションはこれだった。
これからの職場はどんなものなのか。東京という街でうまくやっていけるのか。こんな期待と不安のほかに、一つ僕の人生に大きく影響を与える課題があった。
それは、120FPSのbeatmaniaIIDXになれることができるのか、だった。
BIGBANG室蘭店という、いわゆる田舎のゲーセンで長い間プレーしてきた僕は世間がHEROIC VERSE時代に登場したbeatmaniaIIDX LIGHTNING MODELにほとんど触れる機会が無く令和5年になった。
登場当初、室蘭の周りの人たちはみな口をそろえて「ライトニングはすごい。」と興奮気味に言っていた。そんなに違うものなのか?と疑問に思いながらもわくわくしながらすすきのラウンドワンへとライトニングモデルを触りに向かった。最初の感想としては、「あんま変わらん。」だった。実力不足なのかなんなのか知らないが、本当に変わらないと思った。むしろ感覚が変なので避けていた節もある。
時代は移り変わり、RESIDENTになった。いまだに僕は60FPSに縛られていた。スコアが上がる感覚は全くなく、スタートボタンの位置も腹の前にある旧筐体にお世話になり続けた。周りには、「60FPSだと光らないと言っているのは甘え。むしろ古きものを長く使えることに感謝すべき。」とかいうわけのわからない持論を振り回していた。負け惜しみでもなんでもなく、本気でそう思っていた。
2022年の後半。僕は精神的にしんどい労働をした後にビートマニアをやるとすべてがうまくいかないという深刻な病を持っていることを改めて知ることになる。ビートマニアをやっていると苦しくなるようになってしまっていたのだ。
そんなこんなでギターフリークスに逃げて、ドラムマニアにも逃げて、さらにDPにも逃げて、会社を辞めたタイミングでSPに戻ってきた。しばらく何も考えずにリハビリに励んできたのだが、2023年4月ころに東京へと就職することが決まった。
そこからは意識的にスタートボタンの位置を忘れるようにソフラン曲を選ばないようにしたり、チュウニズムやボルテで120FPSの感覚をつかむように練習した。
話を東京に戻ってきたときに戻す。近くの大きな駅へ向かった時、せっかくなのでこれからお世話になるライトニングモデルさんに挨拶しに行くことにした。数クレプレーしていると、120FPS酔いがスッと消えた。この瞬間、僕の目は120FPSに対応したのだった。
まず目に見えて変化が現れたのは単発だった。今まで自分が苦手としてきた分野だったのだが、急に8分が光るようになった。しかも比較にならないほどに安定する。自分の集中力が続いているとか絶対にそういう次元じゃない光り方を見せてくるビートマニアくんに、僕のTAN-OJI SOULが反応してしまった。クロスロードにダズリン。さらにはmosaicまで。今まで嫌すぎて選曲することを避けていた曲たちが軒並みとんでもないスコア(当社比)になって自分に帰ってきた。おもろい。おもろすぎる。なんやこれ。
ついつい関西弁も飛び出すほど面白くなったビートマニアくんは、☆11にも安定感を出してくれた。16分も驚くほどに光りまくる。もともと中速乱打を得意分野としていた者として、過去自己べというのは簡単には抜けない代物として心に秘めていた。しかしあまりに簡単に更新していく自分を見て、僕の脳みそと目と腕はサイボーグか何かになってしまったのかと恐怖に震えた。
☆12に関してもその勢いは止まらない。簡単目、単純系の2つが考えられないスピードで伸びた。本当に何が起きたのかわからないレベルのスコアがぽんぽこ出た。怖かった。しかし、少しでも重い乱打になると何もできなかった。リハビリが終わってないので、仕方ないと割り切った。やってないけど。
しかし。一つだけ気づいてしまったことがある。
BPIの値がビストロの時からあまり変わっていないのだ。
これは、自分がうまくなったのではなく、周りがみんなうまくなっている証拠だ。
苦しすぎる。でも、俺は負けないよ。ノーt…ノーツたちが躍動する俺のビートマニアをみんなに見せたいね。
ということであまりに殴り書きすぎる最近の僕を取り巻くビートマニアの環境についてでした。
待ってろDJ KASEKI,DJ HEEL。もっと進化してやるからな。
では。
P.S.周大はもう少ししたら書くのでお待ちください。