周りがみんな行くらしいので、適当に大学行った2
前回の続きです。見てない方はそちらを先に見たほうが絶望度は高まるかもしれません。
ちなみにこの話以降は書き溜めていないのでいつ更新されるかというのは完全にぼくのモチベ次第です。
3 自転車しか通れない踏切
2017年10月。夏に誕生日を迎えた僕は19歳になっていた。相変わらずYくんとビートマニアし、パチンコをする。定期代もすべて入れているので移動手段もないので往復三時間歩いて予備校まで行く。泣きながらひたすら歩く。そんな日々が続いていた。人生を終わらせたい感情もピークになっていた。
生きる糧がビートマニアと花澤香菜のみになっていた僕は、イヤホンでflattery?というバカ名曲を一日に50回60回と永遠にループさせた。なぜだか一歩前に足が向くような気がした。
しかし、西武拝島線を走る黄色い電車を見るたび、胸が苦しくなってしまった。もう一歩、二歩、歩いたらこの地獄から解放される。終わらせたい。と思うたびに両足が震えていた。ただそのたびに花澤香菜のライブに参加していないことと冥(SPA)をハードしていないことが僕を楽にすることを阻止した。
正直、9月からの5か月間は毎日同じ生活をしていた。毎日黄色い電車を見るたびに足が震えていたけれど何かが阻止した。酒も飲まずタバコも吸わず、ただひたすらに同じ生活を繰り返した。もうそのころには4月に抱いていた大学受験を頑張るという気持ちは完全に消え失せ、何も考えられないほど憔悴してしまった。
気温が徐々に下がっていくにつれて、僕の家の中にもいよいよ二回目の受験が始まる雰囲気があった。現役の時に志望して落ちてしまった山梨大学にもう一度チャレンジをする旨を伝えていたので、それに向かって机に向かっているフリをしていた。正直その時点で僕はもう梨大はあきらめていた。幼少期から好きな叔父のいる室蘭へ何となく都会が嫌だからと理由で飛ぶこともほぼ決めていた。
センター前には、好きな叔父のいる室蘭へ行くことも生きるモチベーションへと変わり、拝島線を見ても震えることはなくなった。パチンコもやらなくなってきていた。ビートマニアはバチボコにやっていたけれど。
4 センターの結果は一年で横ばい
2018年1月。二回目のセンター試験を首都大東京で受けることになった。
今までの約4000字を見ればわかる通り、奇跡も魔法もなく勉強のしてなかった僕は一年前とほぼ変わらない結果が出た。どんな問題が出たとか、どんな感情だったのかとか、そんなことは何も覚えていない。ただ、一つだけ強烈に覚えていることがある。
自己採点の結果が横ばいだったとわかった瞬間、母親は僕の前で大号泣した。
山梨大学は厳しいから、室蘭工業大学にしたい。と告げた瞬間、「絶対に浪人する必要なかったじゃない。育て方、間違えたのかな」とボソッとつぶやいた。ごめんね、とつぶやきながら部屋に入った僕は二日出てこなかった。
親からはその後なんとか許可が出たので室蘭工業大学に受験することになった。一応滑り止めの大学から合格通知は届いていたので気持ちは楽な状態だった。試験までは札幌に祖母の家があるのでそこで勉強し、札幌会場にて試験を受ける流れが確定した。
2018年2月。赤本を受験二週間前に購入し祖母の家でひたすら繰り返し解いた。のだが、実際は朝のうちに「駿台札幌校で勉強してくる」と噓をつき近くのパチンコ屋で偽物語のスロットを打っていた。札幌での一週間で使うようにと親から多少のお金をもらっていたためそれがすべてなくなることはなかった。
試験当日。緊張しながら北6条の会場へと入る。中は北海道の各高校から集まったであろう人たちでごった返していた。非常にうるさい。集中できるわけもなく、アニメイトでもらった花澤香菜ポストカードをファイルにいれてそれを眺めて緊張を解いていた。
いざ試験開始。ふたを開けてみると死ぬほど簡単な問題が並ぶ。拍子抜けしたのもつかの間、「みんな点数を取ってくるから、すべてパーフェクトじゃないと落ちるかもしれない」という気持ちが渦巻いた。時計を忘れるというやる気のなさがにじみ出るプレイングをすでに行っている以上、本気で何度も見直しをしなければならず、非常に胃が痛い思いをしたのを今でも覚えている。
試験終了。不安でしょうがない気持ちで会場を出る。しかし、前述のとおり来月から大学生になるのは確定してしまっていたので遊び呆けようという感情でいっぱいだったのだ。終わったその足でマキシムヒーローというガード下のゲームセンターへ行き、或帝滅斗を取った。気分は晴れやかだった。
祖母に挨拶をし、立川に帰ってきた。遊ぶという当初の目標はまったく成し遂げられないほどの金欠と不安な気持ちで二週間ほど家にこもった。意味もなく。
2018年3月。合格発表当日。母は朝から仕事へ出かけたので瞬間は家で一人だった。緊張しすぎてはきそうな思いでホームページを開く。番号がない。と思いきや番号を見間違えていた。あった。死ぬほどうれしくて家を転がりまくった。「ついに都会から脱出し、室蘭という北海道でのワクワク田舎ライフが始まるぜ!!!」そう心は叫んだ…気がする。
高校へ受験合格の報告をしに行く。古典のT先生にはお世話になっていたので一番に話に行った。
「僕、国立受かりましたよ!」そういうと彼は態度を少し厳しくした。
「お前はそういうキャラじゃない。落ちなきゃ面白くないだろう。それで、どこなんだ?」
緊張の瞬間。だれかに大学合格を報告することがこんなに気が乗らないことはなかった。
「む…室蘭工業大学です。」
それを聞いた途端彼は表情をにっこりさせて、「いやぁ~やっぱりお前はそういうところが似合う。一丁前に筑波とか言わなくてよかった。おめでとう!がんばれよ!!」
そう。この学校では、“室蘭工業大学“は面白ワードなのだ。偏差値表の一番下にいるよくわからない大学。それ以上でもそれ以下でもないただのモブ。そこに高校でばかしてたやつが行くっていうのだから関係のない古典の先生からすれば面白すぎることである。
その日の僕の家の夕食は多少豪華だった。まぁ特筆すべき点はないので割愛しますけれど。親からは安どの表情が前面から受け取れた。やっとこのすねかじり息子が自立してくれる…そう思っていたのかもしれない。
合格通知とともに送られてきたパンフレットには、一人暮らし用のアパート案内がついてきた。人生で記憶の中にあるうちで一度しか引っ越しというものをしたことのない僕にとって、家賃相場というのは勝手に多摩地域以外の何物でもなかった。パンフレットを開く。2万円台。頭の中が混乱する。そんな値段だと立川では残堀川沿いにブルーシートを張るのが精いっぱいだ。それだけで心がウキウキしたのを強く覚えている。
ある程度、家の狙いを絞り、二週間後僕は北国へまた向かっていた。