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足るを知らず モチベーションに頼らない

 人は消費しても幸せにならないと言います。それではどうすれば幸せに感じるのでしょうか。最近「モチベーションに頼らない」という言葉に出会いました。この言葉に出会ったのは本屋さんでパラパラとめくった自己啓発本で、習慣が10割といった内容の話だったと思います。そこで「モチベーションに頼らない」という言葉が出てきました。

 私は恵まれた職場を辞めてまで「より満たされるように生きる」ことを実践してきました。それは目的や狙いを決めて成果を出す生活に限界を感じたためです。この限界とはネガティブな意味の限界ではなく。これ以上、目標や狙いを定めて、いつまでに何をする、達成するという思考の上では満たされないという結論に至ったためです。そうして気分のままに暮らす、言い換えるならば「モチベーションに頼らない」生き方にシフトしたのです。

 サラリーマンの頃は「モチベーション」を制御する意志力が私にはありました。過去や情報を分析したり、論理的な思考をすることで何かを達成しやすくしてきました。つまり気分で行動を変えないということを徹底したのです。モチベーションを意志によりコントロールしたのです。そうして得られたお金や社会的ステータスや所属はありましたが、私はこれらの条件では満足しませんでした。何かの大きな方向性に合わせたり、効果を狙い続けるあり方にいつまでこれを続けるのだろうという気持ちになっていました。

 意志力を手放してモチベーションに頼らず生活してみると、日々の感情に流される生活が待っていました。ある日は調子が良く、ある日は期限が悪いといった形にです。自分では制御しようがない気分のムラというものが出てきて、その気分のムラが心の底の不安を余計に膨らませました。たとえば貯金を切り崩す今の生活で本当に良いのかという漠然とした不安や、どこにも所属しないこのあり方で本当に良いのかという不安です。会社を辞める前に自己保身をしたいという欲求で不安になることは予想できましたが、その通りになったのです。意志力がない生活の中では自分の身を守りたいという欲が全面に出るようになったのです。

これまでは、何かを達成するために我慢してきました。たとえば疲れて休みたいけれど休まない、美味しいモノを食べてみたいけど、出費があるから今のまま我慢するといった形でした。意志力、つまりは論理的思考は抑制する方向の力として私の中では働いたのです。抑制する力は時間の経過と共に無意識になっていきました。意図せずとも習慣として狙いの行動を取れるようになりました。これは脳が負荷に慣れてこれまでは辛いと思ったことが辛いと思わずできるようになったのです。しかし全体でみると私は無理をしていました。無理をした結果、何かの枠組みの中で考えることなしに行動する自分が現れただけで、そこに私の心のトキメキはありませんでした。つまりは生きがいを感じない生活が待っていました。

 対してモチベーションに頼る生活では心のトキメキがある反面、気分に振り回される側面はあるものの、「無理をしない」自分が現れたのです。気分に振り回されると表現しましたが、これは私の捉え方で、気分のままに行動する生活に慣れていないだけです。気分によっていつも刺激のある生活ができているとも言い換えられます。気分が優れない時は優れない時なりに逐一考えますし、気分が優れる時は、その思いのままに自由に行動するのです。大人が自由に行動するので、大胆にどこかに行けたり、何かを買ったりできるので責任を伴いますが、自由であることに新鮮味を感じる日々です。同時に自由の中でも自分の思考のループによって生活習慣が出来上がることを実感する日々です。

 「足るを知る」という言葉があります。自分の身分や能力で満足できることに気がつくことという意味であるようですが、私はこの言葉があまり好きではありませんでした。忙しいサラリーマンの頃にこの言葉に出会うと「この忙しくて大変な環境で満足しろと言うことか」と納得できませんでした。対して今の自由な生活であると「より満たされるように試行錯誤することなく課題を放棄して現状に満足しろと言うことか」という形になるわけです。

 どちらの状態にも将来に対する期待があります。現状に満足していないのは確かです。ただこの満足の方向性はどちらか?ということです。忙しい自分を忙しくない余裕のある生活に変えていきたいという自己保身的な欲求であるか、まだ知らない自分に出会ってみたいという自分が成長したいという欲求であるかということです。

 私は「足を知る」ことを拒んでいます。足るを知ろうとせず、自分が成長したいという欲求に従って「モチベーションに頼らない」生活をしています。そうした生活では気分に流され、自分には反芻する思考があるということに気がつく日々ではあるのですが、「満足感」だけは高いです。自分の期限は自分で取ることがどんどん得意になっていきます。自分が何を求めているのか、何を恐れているのか認識しやすくなります。

 言い換えるならば「自分に対してスペシャリストになっている」という感じです。これまでは親しい友達や両親などが自分のことをよく知っている人でしたが、今では自分が自分のことを最も良く知っています。これまでは周りがウワサする「こっちの方がお得だよ」「こっちの方が上手くいくよ」に踊らされてきました。「こうやって結果を出して」「こうやって効果を狙って」という世界にいました。今ではそのウワサを手にしても自分が満たされないことはよく知っています。ウワサは不安な人が不安だから言っている呟きに過ぎなかったのです。

 「笑う門には福きたる」という言葉があります。笑うから幸せになれるという言葉です。これまでの私はこの言葉を迷信程度にしか捉えていませんでしたが、不安な人が安心する人に変わるためには、まず自分のエゴのない意欲にこたえること、自分が狙いなく試してみること、自分がご機嫌になること、自分が笑うことなんだと直感で実感します。モチベーションに頼らず、意欲のままに行動することが、足るを知ることに繫がるのだと思います。

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