心地よさを極めた先の性質
エゴのない意欲に従った結果、変わってきたことがある。それは自分の心地よいと思うことに気がつくようになったことだ。
例えば、これまで私は机と椅子が揃った環境で作業することが、自分にとって最も心地よいと思ってきた。いつもの場所にPCがあり、紙があり、ペンがある。作業のしやすさ、着手しやすさ、それが心地よさだと思っていた。
そこから試行錯誤する中で気づきがあった。私はソファーなどの方が作業しやすいのだ。ゆったりと腰をかけ、膝の上にクッションを乗せる。その上にノートパソコンを乗っけてあれこれ考える。表現する。リラックスして取り組めることが一番自然とやっていることだった。
この環境でたまに邪魔が入るくらいが丁度いい。例えば仲良い人に絡まれる、雑談する、動物がかまってと近寄ってくる、手元を妨げてくる・・・どんな形でもいいのだが、適度に作業を中断するのがいい。
なぜ中断するのがいいかと言えば、次に再開する時にこれまで考えていたことを再度なぞるからだ。リフレッシュした脳で先ほどまでの自分の表現を観察できるからだ。
人生の夏休みを選択して、最初は不安だった。この先どうしようかと思った。何かに没頭したり、かと思ったら燃え尽き症候群のような形で1日中寝ていたり、その生活にはリズムがなかった。とにかく焦っていた。
そのような生活にリズムが生まれ始めた。自分が心地よいと思えることが段々わかるようになってきた。これまで好きと認識していたことは好きではななく、”できること”であった。作業として取り組みやすいことであった。
”好きなこと”は何だかんだほぼ毎日する。習慣として自分の生活にいつの間にか根付いている。忙しい生活、つまりサラリーマン生活の中で生き残っていた好きなことは、毎朝水筒に詰めていたそば茶だけであった。それ以外のほぼ全ては別にどうでもいいことであった。できることではあったが、好きではなかった。
”好きなこと”は”①凡人の気持ちがわかる”、”②繰り返しなぞれる”、”③自由である”。これは言い換えるならば、”①共感性”、”②再現性”、”③創造性”だ。
①凡人の気持ちがわかる=①共感性は、好きなことを初めから自分で考えているからこそ抱く初心のことだ。人に対して”どうしてできないの?”なんて言わない。初めにできない苦しみを知っている。どのようなことに気づいてないのかがわかる。そのため、人が同じことに苦しみ悩んで先に進めなくなっている時に、それわかるなぁと語ることができる。
②繰り返しなぞれる=②再現性は、いわゆる勉強と同じだ。細かい作業でもコツコツ積み上げることができることだ。その仕組みを理解して自分でできることである。①凡人の気持ちがわかるにも通じるが、自分でやってきたからこそ、能力がついている形である。人から聞いた話を自分のことのように話すこととは違う。
③の自由である=③創造性は、表現したことが勝手に歩み始めることだ。例えば小説を書いている時に、出てきたキャラクタがそのうち自我を持ち、筆者があれこれ考えなくとも、キャラクタが意志を持っているかのように動き始めることと同じだ。そこに筆者のこうしてやろうなどというエゴはない。狙いはない。ただ、初めに設定したものが、何かのイベントをくぐり抜ける中で、生き物のように勝手に動き始める。筆者は予想してなかったところに行き着く事象だ。
自分の心地よいと思うことは、”①共感性”、”②再現性”、”③創造性”で成り立っている。これはバランスを取って生活するからこそ現れる性質だと思えている。