鷺とり
落語の「鷺とり」
初めて聴いた時から、作品自体の完成度の高さと枝雀師匠のほとばしる華麗さとに特別な感動を覚えました
作品は、「夢のように甘い話」がモチーフといえます
簡単に稼げる話を探していた男が、眠っている鷺をたくさん捕まえるという、うまそうな計画を仕入れます、果たしてどうなるか
男は、鷺がいると教えられたお寺に夜に忍び込み
ついに眠った鷺を企み通りたくさん捕まえます
でも途中で鷺が一斉に目を覚ましてしまい
男は鷺と一緒に空を飛ぶことになる
このような流れです
表面的にはこの流れなのですが、この作品は現実と夢との接続がある造りになっています
その接続は、夜に忍び込んだお寺で鷺が眠るのを待つというところに仕掛けられています
噺の中では、鷺が眠ってくれたことになって「甘い話」が続くのですが、実際そこで眠ったのは男の方であり、そこからの鷺と一緒の空の旅は夢の中です
サゲでは、高いところから降りられなくなっている男を4人の坊主が助けようとし、結果、男1人が助かり、助けようとした坊主4人が死ぬというところで噺は終わります
このサゲが言いたいのは、男1人が助かるというのは、夢から現実への帰還であり、逆に死んだ4人は現実と思っていたものが夢のものであったとしての消失です
なぜ坊主なのかは、坊主が率先して人助けをするのに適してもいるし、時の鐘を撞く係でもあるからです
つまり、夜のお寺に忍び込んだ男はいつの間にか眠り込んでしまい、鐘が4回撞かれる昼ごろまで「甘い夢」を見ていましたとさ、というのがこのサゲの意味ということになります
「鷺とり」のように「夢」に入ったタイミングが明示されない作品の中ですぐに思い浮かべられるものに、チャップリンの「キッド」があります
あの作品では、子供との再会が描かれていますが
その前の段階、空を飛んでいるチャップリン(トランプ)が警察官に撃たれたところで実際には死んだのでしょう(警察官に撃たせたことで処刑されたことを暗示している)
しかし撃たれて死んだと思われたトランプの「目を覚まさせる」ことで、そこからこの映画をハッピーエンドの世界へと接続させます
チャップリンはこの冴えた技法を採用することにより、映画というものが、現実の厳しさを的確に描写するのと同時に、希望や幸せを描くことのできる夢の装置であることを証明してみせてくれたのです
「鷺とり」や「キッド」のように極めて優れた「夢オチ」が存在することを嬉しく思います
そして、これらのような作品を完成させるのは天才的な演者によってなのだなとあらためて畏敬の念を深めることとなるのです