神祠 麿王璽(護良<もりなが>親王)
抑 当加太春日神社と護良親王との因縁は元弘年間(1331年~1334年)に始まる 元弘元年 熊野路に落居在りし時 大塔宮一行は皆山伏の姿で元の社殿のあった加太町北の山腹(八幡山の中腹か)の伽陀寺に現れ 境内元宮(御祭神不明)の本殿第三殿に御隠れありしと伝わっており現在も空殿としている
天台座主(尊雲法親王として第116世・118世の二度)を務めていることから修験の所縁である此の地から鎌倉幕府転覆計画の策を巡らせたものと思われる その時の地元世話人(宮座十番組)が頭屋として産土神を御守りしたものと推測されるが その璽 即ち御正体が長らく当神社の五社舎内に仕舞われていたのを現地に奉しを社に納めよとの聖護院門跡の勧告もあり 此度 護良親王奉賛会により神祠及び台座寄贈となる