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考え事色々②

①旦那さんと過ごすふざけた時間が好きだ。しょうもない茶番や変な替え歌やダンス、モノマネや下手くそなハモり。何でもない時間が愛おしいと思えるのは、あんただからよ。ずっとずっと年老いても、何もない日の午後には、二人で写真を撮りに散歩しようか。コーヒーを買いに出かけようか。死んじゃってからだって隣で一緒にふざけてくれないか。

②出勤すると旦那さんとの時間が減る。
一定以上の時間を共有する関係性は、学生時代からの延長のようである種幼稚なのかもしれない。長く時間を共有しないと仲良くなれないわけ?って視点もあるだろう。好きでたまに会って楽しく話せればそれでいいじゃんってのは、さっぱりした大人な付き合いなのかも。
でも家族との時間て、それとは全然違うものじゃないかな。毎日毎日衣食住の全てに家族が関わっていて、自分の本質を一番近くで見る相手で、一生涯隣にいる人とは、やっぱり時間を共有したいと思う。そうじゃないと家族や結婚という制度の甲斐がない気がする。時間を共有しないなら、極端な話、いつでも縁が切れる可能性がある他人と変わらないじゃない。家族と他人を差別化するのって結局そこじゃないの?って思いがある。
まあそれ以上に感情として、好きな人の隣にいたいし、時間を共有する関係性が好きなんだ。

③最近和音の音感を鍛える練習をしているのだが、なかなかうまくいかない。某音楽講師によると、音のにおいや雰囲気、色を感じ取ることで度数(ドからどのくらい離れてる音か?)がわかるようになるそうだ。無理やろと思いながらも毎日続けていたら、何となく雰囲気は分からないでもないなと思えてきた。人間の慣れとか適応能力って改めてすごい。考えてみたら自転車に乗るのだって、相当頭おかしい動きしてると思うけど、一回乗れちゃえば何てことはないものね。それとやっていることの本質は変わらないと思う。

④何故か邦楽を馬鹿にする不思議な友人。それって何故なんだろう。自分の好きなものを馬鹿にされたことがないとしたら、想像力がないんだろうし、馬鹿にされたことがあるとしたら、意地を張る気持ちは分かるなあとか考えてた。
でも今日有名なラーメン屋さんで、店員さんが外国人の方ばかりだったとき、何故かがっかりというか、本当に美味しいんだろうかって疑う気持ちになってしまって、そういう自分の無意識の差別だって、邦楽を馬鹿にする友人と何も変わらないなあって思ったのだ。
想像力や頭で分かっている建前とか、そういう次元じゃない、勝手に込み上げてくるこんな気持ちを偏見というのかなって。
ちなみにラーメンはすごく美味しくて、疑ったことを申し訳なく思った。

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