ユーゴー「レ・ミゼラブル」第5部を読んで
レ・ミゼラブルをようやく読み終わりました。
読み始めた3か月ほど前は、完読できるかとけっこう焦って読んでいましたが、最終章に近づくほどゆっくりと味読できるようになりました。
BBCドラマで観たときも感動しましたが、この小説からはより思索的にあるいは哲学的に感銘と共感を得ました。
読み終わった今、もしこの小説を読んでいなかったらと思うと逆に不安を感じます。
他にも素晴らしい小説があるのに自分は見過ごしているのではないかと。
やはり歴史に残る古典といえる文芸には、貴い価値があるのだと再認識しました。
第5部「ジャン・ヴァルジャン」のあらすじは、以下のとおりです。
6月暴動の現場である防砦へと、ジャン・ヴァルジャンはマリユス(コゼットの恋人)を救うために向かいます。マリユスがジャン・ヴァルジャンの顔を見知っていたことで防砦に受け入れてもらえます。そこにはジャヴェル警視が捉われていました。防砦が陥落寸前になったためジャヴェル警視を殺害することになったのですが、ジャン・ヴァルジャンがその役目を引き受けて殺したと見せかけて敵対しているジャヴェル警視を逃がします。
そして防砦は陥落するのですが、ジャン・ヴァルジャンは瀕死のマリユスを担いで下水道に逃げます。決死の覚悟で地上への逃げ場を探しながら泥濘のなかを這うように進みます。相当の時間が経過して出口を見つけますがそこは鍵がかかっていました。そこに鍵を持ったテナルディエが現れて取引して外に出るのですが、そこにはジャヴェル警視が待ち受けていました。
ジャヴェル警視には逮捕されてもよいと思いましたが、その前にマリウスを祖父の家に届けることと自分の家に立ち寄ることを申し出て受け入れられました。そして最後に自分の家に寄るのですがジャヴェル警視は自分を逮捕することなく消えてしまいました。その後に、ジャヴェル警視は、自分の信条とは異なるジャン・ヴァルジャンの生き方に衝撃を受けて認めることができず、セーヌ川に入水自殺してしまいます。
祖父の家に帰ったマリユスは次第に回復し、祖父の許しも得てコゼットと結婚することになります。しかし、コゼットが幸せになるには自分の存在はいない方が良いとジャン・ヴァルジャンは思い定めて身を引くことにしました。マリユスだけには、自分は徒刑囚の身でありこの家には相応しくないと打ち明けて、もうお目にかからないと告げました。コゼットだけには、自分の部屋が用意されているにもかかわらず階下の物置小屋のようなところで毎日会いに来ましたが、それもだんだんと間遠くになり会いに来なくなります。それでも家の近くまでは行ったり、さらに遠くから家だけ見てとかを繰り返しながら、とうとう自分の家にこもって病気となり死の床につくこととなりました。
そんなある日テナルディエがマリユスを訪ねてきます。ジャン・ヴァルジャンが出入りしていることを嗅ぎつけていかに重罪を犯した人物かその秘密を売りに来たのです。しかし、テナルディエはジャン・ヴァルジャンが担いでいたのは彼が殺害した死体だと思ったのですが、それはマリユス自身だったのです。自分を助けてくれたのがジャン・ヴァルジャンであることを初めてマリユスは知りました。またテナルディエの言葉からジャン・ヴァルジャンがジャヴェル警視を殺していないことも知り、コゼットの持参金58万フランもジャン・ヴァルジャンが正規に利益を得たことを知ることとなりました。
マリユスの不信感は一掃されて、コゼットとともにジャン・ヴァルジャンの許へと駆けつけますが、すでに死の床に臥せっていました。最期にコゼットに別れを告げて見守られながらジャン・ヴァルジャンは息を引き取ります。
あらすじが、だいぶ長くなってしまいました。
この第5部でわたしが注目した点を以下に記します。
① ジャン・ヴァルジャンは天敵に近いジャヴェル警視を殺すと見せかけて、防砦から逃がしますが、そのことはジャヴェル警視にとっては信じがたい行為だったと思います。一徒刑囚が彼の恩人なのです。彼にはそういう人間がいること自体が脅威であり、自身の信条とは受け入れがたく長年にわたって築かれたものが崩壊してしまいます。彼は正義を掲げて生きてきたのですが、対照的な生き方としてジャン・ヴァルジャンの人間性を際立たせています。
➁ ジャン・ヴァルジャンが逃げ込んだパリの下水道について歴史的に記述しています。これは本筋とは離れていますが、なかなか興味深く読めます。現在のパリの下水道にもつながってくる話題なのでいっそう面白く感じるのかもしれません。残念ながらパリには行ったことがありませんので、万一行く機会があったらぜひ覗いてみたいと思ってしまいます。
③ 一番のテーマであるジャン・ヴァルジャンの葛藤と苦悩が描かれています。愛するコゼットを思う気持ちと離れなければいけない気持ちの葛藤が、あまりにも切なく哀しく、読んでいても辛くなります。そこまで自己を追い詰めなければならないのかと、一切の妥協を排しています。この気持ちは、市長であった彼マドレーヌがジャン・ヴァルジャンに間違われた男の法廷で自ら名乗り出てしまう、またマリウスは死んだ方が彼にとっては好都合なのに救いに出てしまう、さらにマリユスに徒刑囚である自分を告白する、これらの心持と同じことでしょう。彼にとってはこう有らねばならぬという法則が大切なのであって、こうなりたいというわけではないのです。それは、だれが見ているわけではなく、自分自身がその行為を見て裁くということです。
以下に第5部からの抜粋を引用します。
(岩波文庫 レ・ミゼラブル 第5部 豊島与志雄訳より)
〇 ジャン・ヴァルジャンの葛藤を記した場面
〇 著者ユーゴ―の記述
〇 死の床でジャン・ヴァルジャのコゼットへの最期の言葉
ユーゴーあるいはジャンヴァルジャンに語らせている言葉を読むと、だいぶ前に読んでいたカントの義務論などを思い出しました。
はたしてユーゴーとカントに関連性があるのか否かは、わたしには詳しくは分かりませんが、久しぶりに哲学的な思索に触れました。
この小説は、読む前はドラマティックなストーリーを楽しむものと思っていましたが、読み終わった後は、思索的な、哲学的な深い内容を持つ小説なのだと思いました。
この小説を読了した現在の心境は、心の底から感動と満足感の余韻に浸っています。