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私は君の未来だ

私には自信がある。
いつの日か、かならず私に棲みつく狂気が内側から身体を食い破ってその姿を白日の下に晒すだろうという自信である。こういった考えは"厨二病"的だろうか。多くの人が思春期に持っていた幼く歪な感情の一部を、大袈裟に誇張して抱え込んで無意味に怯えているだけなのかもしれない。

長い間、幻聴に悩まされている。私が過去に男性から受けた暴力を発端としているが、今となってはその出自はどうでもいい。それは突然訪れて大声で騒ぎたて、身動きも取れないほどの力を持って私の頭の中を支配する。複数人の怒鳴る声が脳内に響き、私は荒波に揉まれる小舟のように為す術もなくただ身を低くしてじっと耐えるしかない。その声は「"穴"を塞げ」と命令する。何度も何度も繰り返す。「"穴"を塞げ。全ての穴を、隙間を残さず、何者の侵入も何者の脱出も許さないように、塞げ」

精神科に通いながら騙し騙し生活を続けていた。全てにうんざりしていたが、当時の私は「男に勝つ」ために生きていて、立ち止まることは出来なかった。脇目も振らずがむしゃらに走り続けることでかろうじて人間としての形を保っていて、もし立ち止まってしまったら、自分はそこでバラバラに崩れ去ってそのまま修復されることは二度とないだろうという予感があった。何かに追われているような焦燥感が常にあり、それを振り切るためにも勉強に打ち込んだ。

「男に勝った人生」として私が夢想していたのは、父や兄よりも偏差値の高い大学を経て就職難易度の高い会社に入り、そこで出世してそれなりの立場を手に入れてから、好きな女の人と2人だけで暮らしてそこに男を立ち入らせないというものだった。私が作り上げた小さな箱庭の中で2人は何の不安もなく、小さな幸せを胸に抱きながら生涯を終えるのだ。今考えるとなんて馬鹿馬鹿しいんだろう。人生の成功は人それぞれだし、社会的な立場を手に入れたからといって好きな女の人が私と人生を共にしてくれるとは限らない。しかし、この幻想は当時の私を、私のクソッタレ人生に繋ぎ止めてくれるほとんど唯一の希望だった。

そういう風に生きていたので、当時の私が考えていた社会的成功を(おそらく)収めていない人間を見かけると恐ろしくてたまらなかった。傲慢で浅慮な考えだとは分かっていたが、平日の昼間から飲んだくれている人を見ると、その人の事情も知らずに、いつかこうなってしまったらどうしようとゾッとした。西加奈子の小説『まく子』にミライという街の変わり者の男性がいて、いつもふらふらしながら小学生たちの前に突然現れては「私は君の未来だ」と言っていた。彼は街でなんとなく受け入れられながらも、子どもたちには絶対あんな大人になりたくないと思われていた。小説全体としては心暖まるものなのだが、ミライの「私は君の未来だ」という言葉は私を恐怖のどん底に突き落とした。この本を読んでから、何も手に入れられないまま中年になった私が暗い眼でこちらをじっと見据えながら「私は君の未来だ」と語りかけてくる姿が浮かんできて、私を追い詰めた。

ある昼下がりに電車に乗っていると、あまり綺麗とはいえない身なりの中年男性が乗り込んできた。ボロボロのリュックを背負い、薄汚れたカーキ色のコートを着ていて、白く吹いた粉が肩のところに溜まっていた。ぶつぶつと何かを呟いており、酒臭く、缶酎ハイを持つ手が小刻みに震えている。車内に一瞬だけ緊張が走るが、すぐに何もなかったように戻る。良し悪しではなく、私はこういった時の空気が苦手だ。近くにいる人間は絶対に彼を認識しているのに、徹底的な無関心を装いつつ、何かあれば逃げられるようにわずかに意識だけを向けている。電車の中で堂々と飲酒する彼の手元を見つめていると、「私は君の未来だ」という囁きがどこからか聞こえてきた。

次の駅で小学生くらいの女の子と母親が乗ってきた。その親子に気づくと、男は穏やかな顔をして、抱えていたリュックからハンカチを取り出し、缶酎ハイにそれを丁寧に巻いた上でリュックの陰に隠した。おそらく子どもに見せるべき姿ではないと思ったのだろう。その光景を見た瞬間に、私は何故か唐突に泣きたくなった。そのハンカチは紺地に赤のチェック柄で、丁寧にアイロンがかけられているのだろう、ピンとしていて清潔だった。車窓から入ってくる日差しを浴びて、彼の白髪がキラキラと光っているように見えた。彼のことを美しいと思った。皆さん、この人は私の未来なんです!とても美しい人なんです!と叫びたかった。その時の私は感動でほとんど震えていた。「私は君の未来だ」という囁きはまだ聞こえていたが、それに対する怯えや不快感はなくなっていた。

今でも、あの時の自分の心の動きをうまく説明することができない。彼がハンカチを巻いた理由は私の想像に過ぎないし(友人は「タイミングはたまたまで結露防止だったんじゃない」と言っていた)、そもそも車内で飲酒するなよ、とも思う。ただ真実はどうであれ、どんな姿であってもその人なりの高潔な精神がありうるのだという当然の事実を実感したこと、「私は君の未来だ」という呪詛を彼が解いてポジティブなものに転換させてくれたことが私にとっては重要だった。

今では「男に勝つ」ことを目標に生きておらず考え方も随分変わったが、当時から抱えている私の問題のいくつかは解決していないし、幻聴もまだある。最初に書いた通り、いつか決定的な何かをしでかしてしまうのではないかという不安もある。それでも過去の自分に「私は君の未来だ」と堂々と言えるように生きたいという意思が今の私を支えている。

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