【質問箱】意味がないのにやってしまうこと/辛くて悲しい時の向き合い方
質問箱からお題をくださった方、ありがとうございます。今日は2つ回答しようと思います。
意味がないのにやってしまうことについて
結論から言うとあんまりないです。そもそも全ての物事や行動に意味が内在している訳ではなく、人が勝手に意味を見出した気になっているだけだというスタンスなので…。つまり私がやっていることには全て私が与えた"意味"があります。自分で書いておいてなんですが、しゃらくせえですね。
これだけだと煙に巻いたみたいで嫌なので、強いて言えばというのを書きます。意味がないって、①無駄/効果的でない ②目的すらない のパターンがあるのかなと思います。
①無駄/効果的でない の場合
昭和って、部活でウサギ飛びをさせられたとか水を飲むのが禁止されていたとかいうじゃないですか。でも今ではどちらも百害あって一利なしとして廃れた文化ですよね。こういうのを考えると、今自分がやってることも後々意味がなかったとか非常識ってことになるんじゃないだろうかと不安になることがよくあります。
最近は、耳に輪ゴムを巻き付けてフェイスラインをすっきりさせるという美容法を(これ効果あるのかな…)と疑いながらも神妙な面持ちでやってみてます。多分こういうのってそこまで効果ないんだろうけど、実際に何かが変わるかというよりも「輪ゴムも巻きつけたし(?)、今日可愛いかも♡」と思えることが大事なのかなと思います。結果を出す必要のあることであれば適切な人に相談したり随時軌道修正しますが、それ以外のことについては、(これ意味ないかも!でもなんか良い感じな気もするしいっか!)という感じで生きています。そのくらい力を抜かないと気が狂うので。そういえば小顔マッサージが流行って毎日やっていたのに、少し経ってから肌がたるむからしない方が良いと聞いた時は、よくもだましたなァァ!!と絶望しました。そういうこともある。
②目的すらない の場合
白目を剥くことです。学生の頃、授業中に教師や友人にバレないように何回できるか?というロンリーチキンレースを1人で開催していました。意味がないどころか、ノーリターンハイリスクのマイナスの遊びです。これが癖になってしまって…。もはや目的もないし、傍から見るとかなり怖いので止めたい。でもまあ無意味で無目的なことをして脳を休憩させることも必要な気がするので、そこまで気にしてません。
意味がないと思っていても後からやって良かったと思うこともあるし、やめておけば良かったと思うことでも当時の自分にとっては必要だったということもあるし、あんまり意味があるかとか考えないかも。何故やりたいのか、やってどう思ったか、というのを重視します。
辛くて悲しい時、どうやって向き合っていますか?辛い原因をただずっと自分の中で見つめるのか、逃げるように蓋をするのか…等、教えてください。とても生きにくいのです。
こういった質問をいただいた時、あなたの悲しみや生き辛さを軽くさせる呪文があればどれほど良いだろうと思います。残念ながらそういった魔法の言葉を持ち合わせていないので、私なりの考えを書きつらねます。
辛くて悲しいことがあったら、そのことについて考え続けます。原因を明確にしないと対策を立てられないからというのもありますが、悲しみに蓋をしているだけだと他のことに集中できないからです。
私にとって悲しみは水で、幸福はわたあめです。
わたあめはフワフワしていて持っているだけで嬉しい。わたあめそのものがなくなったとしても舌の上で砂糖がじわっと溶けた時のほのかな甘さはずっと覚えていられる。でもずっと持っておこうとすると、すぐに潰れてしまうし吹けば飛ぶように軽いので丁寧に扱う必要があります。幸福を維持するのって根気がいるし大変だと思います。幸福を享受している人ってすごく意思の強い人なんじゃないかなとよく考えます。
悲しみは水なので、蓋をしても隙間から漏れ出てきてしまいます。完全に塞いだと思っても、堰き止めていた水はいつか必ず溢れてくる。そしてその分だけ勢いは増して、濁流に身を掬われて翻弄されることになります。大事に持っていたわたあめも溶けて流されていってしまう。流動的な悲しみはコントロールするのが難しいです。そこで、なるべく離れたところに立って悲しみの水を見つめて、色々と考えながら言語化します。自分の言葉はゼラチンです。ゼラチンを加えれば水はゆるやかに固まってゼリーになります。悲しみそのものが消えなくても、形を与えればいくらか扱いやすくなるし、他の幸福や楽しみが水に浸されて消えてしまうこともなくなる。ゼリーにしてしまえば、さくらんぼとかホイップクリームで飾ったりも出来ますし。基本的にはそういう風に向き合っています。
私がそうしているだけで、悲しいことには蓋をする方が楽だという人もいると思うし、逃げても無駄だと思っている訳ではないです。
ここで言うところの「恥ずかしいスッポカシ」みたいに聞こえるかもしれないですが、生き辛くても悲しくても、生きてて良かったと叫びたくなるような美しい瞬間が全ての人間に訪れるというのが私の信条です。だから今の辛さは我慢するべきとは一切思わないですが、私は辛い時、今はその瞬間のための"心の整備期間"だと思うようにして過ごしています。
それと、「生きにくいから悲しくて辛いことが多い」というのと「悲しくて辛いから生きにくい」というのは別のような気がしました。生きにくさの原因となる事象があるのか、感じ方によって辛くなることが多いのかどうかで対処法は違うはず。どちらにせよ、あなたの生き辛さが少しでも軽くなるのを祈ってます。無理に上昇したりしなくても、低空飛行のまま心地良い風に身を任せるのでもいいじゃないかと私は思っています。
以上です!質問ありがとうございました。
引き続き募集しているので、気が向いた時にお題いただけると嬉しいです。
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