母親について

今思い出すと本当に恥ずかしいのだが、幼少期の私は、母親に人格なんてないと思っていた。

私の母親はいつも家事をしていて、基本的に穏やかに笑っていて、兄や父親のことを心配していた。この人にとっての生き甲斐は家族を支えることでしかなくて、思想なんてないのだろうなと感じていた。
私は斜に構えていて傲慢で嫌な子どもだったので、私の抱える高尚な悩み(もちろん実際は些細なものだ)を母親が理解できることはないだろうと考えていて、母親に心をあまり開いていなかった。良い母親だと思うし感謝はしているが、この人には私のことは分からないだろうし、話しても無駄だと思っていたのだ。

その考えが間違っていると気づいたのは何でもない会話がきっかけだった。
ある休日の朝、母親がいつものようにキッチンで朝食を作ってくれている最中に、ふと呟いた。
 「ロシア料理といえばさあ・・・」
リビングでついているテレビ番組でロシア料理について取り上げられていて、それが耳に入ったらしい。
「ロシア料理といえばボルシチだけど、お母さんはヒロポンが好きだな」
ヒロポン?!
「なんかカレーパンみたいなやつあるじゃない?」
もしかしてピロシキのこと?と呆れながら聞くと、少し恥ずかしそうに答えた。
「あ!ピロシキだ。やだ〜、ヒロポンは織田作之助が自分で注射するやつだもんね」

自分でも上手く説明できないのだが、それを聞いた瞬間に、当然だけど母親にも思春期があって、当時の私と同じように苦手なクラスメイトのことで憂鬱になったり、高尚な悩みを抱えている(つもりになっている)時にもお腹が空くのってなんかダサいなあと思ったりしていたんだろうなと感じて、母親は「母親」という役割を担っているだけで彼女自身の人格があるのだということに気づいた。もちろんずっと頭では分かっていたのだが、その時初めて、そのことを鮮烈なリアリティをもって想像することが出来た。同じクラスにいたら友達になっていたかもしれないとすら思った。

要は、ピロシキ→ヒロポン→織田作之助の言い間違えと連想の流れを聞いて、母親も織田作之助がヒロポンを注射している写真を見たことがあって印象に残っているんだなということや言い間違えをしたことに親近感が湧いたというだけの話なのかもしれないが、それ以来、リラックスして母親に色々な話ができるようになった。母親の話を積極的に聞くようになったし、成人した今では、彼女の相談に乗ることもある。あの会話がなければ、親子関係は今ほど良くなかったかもしれない。

私にとってはこの出来事がずっと心に残っていて、出先でピロシキを見かける度に買って帰るのだが、母親は全く覚えていないようで、いつも喜びながらも少し不思議そうにしていた。現在ではもう慣れたらしく不思議そうにはしないが、彼女の中では私の好物がピロシキだということになっているようだ。


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