今まで生きてきて傷ついたこと①

Twitterで原田時枝さんからお題をいただいたので(ありがとございます!)書いてみようと思います。私は割と被害妄想が強いところがあるので(悪癖だという自覚はあるので意識して抑えています)傷ついたことはたくさんありますが、その中でも未だによく思い出すものをいくつか選びました。長くなりそうなので今日は一つめについて書きます。

今まで生きてきて傷ついたこと① -男に勝ちたい
学生の頃に一時期、諸々の事情があり母親と兄と一緒に祖父の家に身を寄せていたことがある。元々二世帯住居用に建てられた家だったので暮らしに不便なところはなかったが、耐えられなかったのが祖父の暴言と暴力だった。

時代背景的に仕方のない部分もあるかもしれないが、祖父は「女に学はいらない、家庭を守るべき」という考えを持っており、そして私や母がそれに従わないと酷く激昂して暴力をふるうことがあった。私がこの事に気付いたのは少し後のことで、というのも、祖父からの暴言や暴力は、主に私の進路について祖父と母親が話し合う場で起きていたからだ。ある晩、大きな物音と母親のすすり泣く声が聞こえてその場に駆けつけると、祖父が血走った目で私を見つめながら、
「ちょっと勉強ができるからって、お前自身には何の価値もない!」
と吐き捨てた。それ以来、私のいない場で私の進路について話さないよう母を説き伏せて、祖父を刺激しないように暮らした。当時兄は反抗期で家を空けがち、父親は単身赴任中だったので、私と母は2人きりの仲間だった。

祖父を刺激しないように生きていたものの、彼の衝動的な怒りから逃れ切ることはできず、暴言を吐かれることはままあった。その時も祖父が暴れ出し、母は私を庇うように、私は祖父を抑えるようにしてもみくちゃになっていると、突然祖父がびくん、と震えてそのまま動きを止めた。不思議に思って顔を上げると、私と母の後ろに丁度帰宅した兄が立っていた。兄はそのまま私たちを一瞥して自分の部屋へと去って行き、先程までの祖父の暴言も鳴りを潜め、その場は有耶無耶になり私たちも部屋へと戻った。

思い返してみると祖父が私たちに怒り狂うのは、決まって兄が家にいない時だった。要は、祖父は兄を恐れていたのだ。当時の兄は既に高校生で、ボクシングジムに通っており体格も良かった。祖父の中では兄は私と母親側の人間で、力で兄に勝てない以上は兄の見ているところでは私たちに手出しをしないようにしていたのだろう。この事に気付いた時、私は目が眩むほどの怒りに襲われ、自分の尊厳が傷つけられたように感じた。兄が私たちに何をしてくれた?自分のことばかりにかまけて家も空けて、私たちを守るためのことなんか何一つしてくれていないじゃないか。それでもただ力があるというだけで、大きな身体があるというだけで、男というだけで、兄は結果的に私たちを守った事になるのだ。私は自分の立場を明確にしている、祖父に抗う意思表示をしている、私は母の味方だ、でも私は何も守れていない。むしろ、祖父は主に私の進路についての話で怒り狂うのだから、私が原因だ。もちろん「女は大学に通う必要がない」という考えが時代にそぐわず私に非がある訳ではないこと、兄も守られるべき立場の子どもであり彼を恨むのはお門違いであることは頭では分かっていたのだが、「私のせいで家庭がおかしくなる、私が男ではないので何も守れない」という考えに捉われた。

それからの私の人生の原動力は「男に勝ちたい」という気持ちだった。どうしたって力で勝つことはできない。であれば、男が私と私の大切な人たちに手出しできないくらいの立場を手に入れたいと思った。身近な男性は父と兄だったので、私は父と兄よりも偏差値の高い国立大学に進学した。そして父が若い頃に就職活動で落とされた会社に入社した。嫌味に聞こえるかもしれないが、私は勉強がよく出来た(と言うより大学受験や就職活動で求められるタイプの知識や能力を手に入れる努力が全く苦ではなかった)ので、どちらも大した苦労はなかった。そして父や兄に対して、私はあなたたちが手に入れられなかったものを簡単に手に入れた、と言う優越感を心のどこかで持っていた。はっきり言って、そんなのかなりしょうもないし全く楽しくないということに本当は気づいていた。そもそも父も兄もそれぞれの選択をしただけで、そこに優劣なんてないはずだ。それでも、そんな優越感を持つようにしていないと、私は役に立たず何も守れないと傷ついた過去の自分が救われないような気がしていたのだ。

就職して初任給をもらった時、家族を高級焼肉店に連れて行った。もちろん家族にささやかなお礼がしたいからという気持ちもあったが、「男に勝つための人生」を正式に始めるための儀式のように私は思っていた。既に就職して忙しい兄がスーツ姿で駆けつけてくれたのや、いつも寡黙な父親が珍しく饒舌で、「娘の初任給で食べる肉うま!そういうブランド牛作ろうかな?」なんてふざけているのを見ながら、私は後ろめたさを感じ、虚無感を抱えていた。こんな人生、何が面白いんだ。色々思うところもあったけど、両親も兄も私に良くしてくれたじゃないか、今の目の前の光景を心から喜べることよりも男に勝つことが大事な訳がない。そもそも男に勝つってなんだ?仮に勝てたらその後はどうするんだ?でも、でも今更もう引き返せない。

その晩、思い切って両親に祖父宅で暮らしていた頃についての話題を振ってみた。詳細は省くが、その時に祖父の認知症がおそらく始まっておりその影響もあったこと、私の知らないところで両親と兄が、なるべく私が何も知らず傷つかないように色々と計らってくれていたことを知った。平静を装ったが、頭を殴られたような衝撃があった。そんなの知らなかった、じゃあ、全部私の一人相撲だったんじゃん、私が一番守られているのに何も知らずに理不尽にお父さんとかお兄ちゃんを恨んで、恥ずかしい。なんで教えてくれなかったの。当時私は役に立たず何も守れないと思った時よりも深く傷ついた。でもこれは誰かに傷つけられたのではなく、自分で招いた事態だった。

就職とともに上京し一人暮らしを始めたので、その後はひとりで住む自分の家に帰った。引っ越しの際に実家から持ってきた昔の日記を久しぶりに開くと、「今日アイスココアフロートを頼んだら、なんとホイップクリームまで乗っていた!世界って素晴らしいかも!こうやって散歩して喫茶店に行ったり興味のあることを勉強したり本を読んだりして穏やかにずっと暮らしたいな。あとなるべく周りの人に優しく?して生きたい、ココアフロートに乗っているホイップクリームくらいのささやかな優しさ」と書いていた。そうだった、昔の私はこんな風に考えていたんだった。昔の私が夢想していたような人生を取り戻せるだろうか?まだ自分の思い込みの強さとか視野の狭さとか自分勝手な考えをする癖は無くなってないし、自分の欠点を見つめ直すのは結構辛いけど、「男に勝つ」ために生きる人生よりずっとマシだ。ひとまず明日は休日だから喫茶店に行ってココアフロートを飲もう、と考えながら眠りについた。

翌日に喫茶店で飲んだココアフロートは、脳が痺れるくらい甘くて美味しくて、日差しを浴びたグラスがテーブルの上につくる影を眺めながら、ここから私の人生をやり直そう、と思った。




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