君の顔が好きだ

私はルッキズム(なんて言葉を当時は知らなかったけど)を憎むようになった時のことを今でもはっきりと覚えていて、それは中学校の卒アル写真の撮影日だった。

前のクラスの撮影が終わるまで私たちは教室にいて、一応自習しながら待機ということにはなっていたけど、皆いつもとは違う校内の雰囲気に少し浮き足だっておしゃべりをしていた。私も近くの席の友だちと話しながら、彼女がヘアコームで丁寧に前髪を整えるのをぼんやりと眺めていた。ラインストーンでデコられたヘアコーム。しばらくすると別クラスの担任教師が私たちを呼びにやって来て、彼女をちらっと一瞥した後、「お前アイプチしてるだろ。落としてきなさい」と言い放った。周囲にいた女子生徒たちが、は?ありえない、せんせー今日くらい許してよ、などと彼女を庇おうとしたが、その教師は「校則で禁止されてるだろう。写真撮影の日くらいちゃんとしろ」と頑として譲らなかった。彼女は無言のまま立ち上がって、鏡のあるトイレへと向かい、心配になった私は少ししてから彼女を追いかけた。

トイレに入ると彼女が鏡の前に立っていた。アイプチを落とすために擦ったせいかそれとも泣いたせいか彼女の瞼と目の縁がほんのり赤色に腫れていて、それを見た瞬間に身体の中が燃えるように熱くなるのを感じて、私は、この世界を壊したいと思った。巨大な怪獣になって校舎を踏み潰して、出鱈目に振り回した腕で周りの建物を薙ぎ倒したかった。地鳴りのような咆哮を響き渡らせて、積み上がった瓦礫の上にうずくまって、そのまま号泣したかった。そうして世界全部が私の涙に沈んでしまえばいいと思った。

私が怒って、傷ついてどうするんだと心の中で呟きながら、彼女の瞼を濡らしたハンカチで押さえて、「どうせバレないからいつもより幅狭めで二重作り直したらいいよ」とだけ伝えてそのままその場を後にした。彼女がひとりになりたいんじゃないかと感じたから。

あの時どうするのが正解だったのか分からない。でも、私がどうしたかったかは分かる。もっと違うことを言いたかった、私が言いたかったのは、

私は君の顔が好きだ君の顔が好きだ君の、

君の瞳が好きだ。
目の水分量が多いからなのか、いつも少し潤んでいる。私の一番身近にある小さなみずうみ。君が今まで見てきた綺麗な風景だけが閉じ込められてるんだろうと思う。

君の爪が好きだ。
短く切り揃えられた横幅が広めの爪。指の腹でそっと撫でてみると、つるつるしていて貝殻みたい。次の春休みは海に行こうよ。

君の髪が好きだ。
ちょうど肩位までの長さの髪をふたつにまとめている。一緒にアンティークカフェに行った時、君は店内のしっとりとした雰囲気に落ち着かない様子で、そわそわしながらカーテンにぶらさがるタッセルをいじっていた。君の髪をみるとあの時のタッセルを思い出す。

君のつむじが好きだ。
私の方が背が低いから普段は見えない。でも下りエスカレーターで後ろに立つと見えて、そういう時間は特別で、すごく気分が良くなる。君の身体のてっぺんにある小さな台風の目。

君の耳が好きだ。
見れば見るほど不思議な形をしている。なんだか幾何学的だ。私は気難しい数学者みたいな目つきで君の耳を眺める。たまに髪を下ろしている時は耳が隠れてしまうのが少し寂しい。

私は君の顔が好きだ。君の、顔が、好きだ。

君はすごく可愛いけど、可愛いから好きなわけじゃない。私は君が、君の変に生真面目なところが、地理の教科書を読み込んでいるところが、いつも左右の靴下がきっちり同じ高さで揃っているところが、私と喋る時に早口になるところが、好きだ。君の顔と身体は君の魂に形を与えてくれた。君の姿が見えると私の近くにいてくれる喜びを実感できる。だから、君の顔が好きだ。


あの日私は「君の顔が好きだ」と言わなかった。本気なのに、誓って本心なのに、きっと慰めだと受け取られるだろうと思ったから。それが彼女を惨めな気持ちにさせてしまうんじゃないかと心配したから。それに、きっと欲しいのはそんな言葉なんかじゃないと分かっていた。だから言えなかった。

彼女がアイプチが取れていないかしきりに手鏡で確認したり、足が太いからショートパンツを履けないと嘆いたりする時に、「全然気にしなくて大丈夫だよ」なんて絶対に言いたくなかった。気にせずにいられないのは彼女のせいじゃない。彼女にそう思わせた全てを呪いたかった。

別に美しさをいつ何時でも評価するなと言いたいんじゃない。可愛くなりたいという気持ちを否定したいわけでもない。

私が許せないのは誰かが、多くの美点を持っているのにも関わらず可愛くないなら無駄だと思ってしまうことだ。自分の顔や身体をどう評価されるかが気になって、やりたいことに集中できなくなることだ。日常的に、自分が美しくないことを、あるいは美しいことを、否が応でも意識させられることだ。

私は今でも、あの日をやり直すことを切望している。顔の美醜なんて重要ではない、ただの一要素に過ぎない世界で「君の顔が好きだ」と伝えて、彼女が照れ臭そうに笑うのを想像する。


※タイトルは斉藤和義『君の顔が好きだ』より
https://youtu.be/6yqfdLBSN_Y

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