【日記】ネットスラング
ネットスラングについて考えていた。
ちなみに私の嫌いなネットスラング TOP5は
メスガキ
ショタ
チー牛
〜で好き(皮肉で使用)
蛙化現象(好きな人や交際相手に冷めるという意味での使用)
です。ネットスラングというかTwitterでよく見かける言い回しかも。
他人の言葉遣いに介入することは出来ないし、ミュートすればいいだけなので、これらの単語を使うな!とは思わないけど、見かける度に胃の内壁にびっしりとカビが生えたような気分になる。
なんで私はこれらのネットスラングに嫌悪感を持つんだろうか。
メスガキ/ショタについては、オタク向けコンテンツでのカテゴリー名としてならともかく、「今日見かけたショタが〜」「トー横のメスガキが〜」とか、現実の人物に対して使用している人を見かけることがあって、未成年に対する性的なニュアンスを含む言葉をそんな風に使う神経が理解できない。ネット上でしか言わないんだろうけど、SNSって現実の一部じゃないか?
チー牛/〜で好き/蛙化現象については、自己擁護的なのが気に入らないのかも。何かについて言及したり批判する時は、それに対する自分のスタンスを表明することがセットになるはずで、"批判する自分"に言及される可能性を受け入れるしかないのに、これらの単語を使用することで、"批判する自分"を漂白しているように感じられる。自分は傷つかずに他人の優位に立ちたいという意識があるのでは?と勘繰ってしまう。
"チー牛"って、言動含めての評価の場合もあるんだろうけど、容姿だけを見て「チー牛じゃん」と一方的に揶揄するのは酷すぎない?ナンパ失敗した時に「ブス!」と捨て台詞を吐く男っているじゃないですか(この場合はまず迷惑行為をしているのが悪いけど)。これと同じくらい醜い行為だと思う。なんで勝手に他人を土俵に乗せて、無理やり戦わせて、しかも負けたことにして外野から嘲笑してるんですか?戦うにしても、どの土俵に入るかは選ばせて欲しい。
そういえば山田詠美『ぼくは勉強ができない』の中で、同級生に成績の悪さをバカにされた主人公が「でも、おまえ、女にモテないだろ」と言い返す場面があった。前後があるので悪いとは思わないけど、最初読んだ時はショックだった。私が当時モテない男子高校生だったら、夢にあの著者近影の頬杖をついている山田詠美が登場してきて「おまえ、モテないだろ」とか言われて、魘されたと思う。
"言語が思考を規定する"というサピア=ウォーフの強い仮説は今では否定されているけど、『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』の中でこう書かれていた。
また、あとがきの中で『言語の本質』の著者でもある今井むつみが、自身が行なった実験について触れていた。
実験は「ドイツ語話者は文法的性(ドイツ語の名詞は女性/男性/中性のいずれかに属する。例えば"キリン"は女性名詞、"ゾウ"は男性名詞)と生物学性を混同することはないのか?」というのを検証するもので、結果、混同する、つまり「習慣的に言語での分類を強要されるために起こる思考の歪み」を示す、ということだった。
この実験結果を当てはめられるとは言わないけど、やっぱり頻繁に使う単語の根底にある思想は徐々に自分の思考を蝕んでくるんじゃないだろうか。
最近読んだ『言語はこうして生まれる』ではこう書かれていた。
私は、言葉の選び方や文脈で「この人はこういうことが言いたいのかな?」と考えるのが好きで、要は他人の感じ方に興味がある。そして自分はそこからどれくらい、どのようにズレているかを知りたい。
ネットスラングとかネットミームって、多くの人が共感できるからこそ流行るんだと思うけど、広がると共に「そのネットミームが持つ単一の意味や使われ方」に固定されてしまって、さらには意図も決まってしまう気がする。何かを考えていて「この表現で書こう」と決めた時に、ネットスラングの持つ意味からはみ出た感情は削ぎ落とされてしまって、読んだ方も削ぎ落とされた部分を想像する余地がなくなってしまう。
でも、文字数制限のある中では分かりやすくて便利だし、共通の語彙があるということが連帯感を強めるんだろう。
単に私がTwitterに向いていないだけだな。
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