今まで生きてきて傷ついたこと②③
今まで生きてきて傷ついたこと①が長くなってしまったので、②と③はなるべく短く書こうと思います。
今まで生きてきて傷ついたこと② -優しさの思い上がり
子どもにありがちなのかもしれないが、私は幼少期の頃、神なのか内なる世間の目なのかは分からないが何者かが私の思考や言動を四六時中監視していて、悪いことをするといつか必ず罰せられると信じており、「人に優しくする」というのを行動原理としていた。
私が通っていた小学校の校庭には、"フルーツバット"という果物を主食とするコウモリが住み着いおり、クラスの中で、そのコウモリのために餌箱を作って果物を入れておいてあげようということになった。
子どもの社会というのはある意味大人のそれよりも残酷で、些細なことで徹底的に輪の中から弾かれてしまうことがよくあるように思う。当時もクラスの中で、ほとんど存在しないものとして扱われている女の子がいた。私は「人に優しくする」ために、彼女に対してもなるべく普通に接するようにしていた。身勝手な思いからくる行動でしかなかったが、それでも彼女を無視するクラスメイトたちに比べれば自分は上等な人間だと思い上がっていた。
皆で出来上がった餌箱にフルーツを詰めていると、彼女が私たちに背を向けてもぞもぞと動いているのが見えた。不審に思って覗いてみると、彼女が深爪しすぎた指で、ぶどうの実をひとつずつ丁寧に割いて種を取り出しているところだった。私に気づくと彼女は気まずそうな顔で、
「たぶん意味ないけど…、コウモリが種を詰まらせちゃったら良くないから…」
と囁いた。その瞬間、私は衝動的に大声を上げて泣きたいような気持ちに襲われた。誰かが見ているかもしれないからじゃなく、罰せられるのが怖いからじゃなく、ただ優しい人間になりたい、そして本心から彼女と仲良くなりたいと思った。泣きたい衝動を抑えながらもごもごと、優しいんだね、と言うと彼女は、
「あなたの方が優しいと思う。私が可哀想だからいつも話しかけてくれるんでしょ?でも、別に無理しなくて大丈夫だよ」
と悲しげに微笑んだ。違う!違うの、いや違わない、でも今は本当に仲良くなりたいと思ってるの、今までごめんなさい。そう叫びたかった。でも結局私は何も言えずに、曖昧な笑みを浮かべて無言でその場を去った。
それから私が彼女に話しかけることはなかった。自分が優しい人間だと思い上がっていたこと、本当は見当違いな自己保身だったこと、私の浅ましさが彼女には少し違った形だとしてもバレていたこと、全てが恥ずかしかった。何より私が彼女を傷つけていただろうということ、彼女と心からの友だちにはなれる機会はもうないということに私は深く傷ついていた。
未だに彼女のことを思い出す。もしあの時私が謝罪して、これからはただ仲良くしたいと伝えたら友達になれただろうか?そんなの都合が良すぎる、でもそうしなかったことで、彼女の中では、私は憐憫の感情から彼女に付きまとってそのまま去っただけということになり、きっとそれは彼女を傷つけただろう。そのことを考える度に、私にはその資格がないのに何度も傷つくのだった。
今まで生きてきて傷ついたこと③ -才能がない
幼少期の頃から読書好きで、何の疑いもなく自分は将来文章を書く仕事に就くものだと信じていた。サンリオのシナモロールの可愛いノートに小説を書いては一人得意になっていたものだったが、ある日、さくらももこのエッセイと岡田あーみんの『ルナティック雑技団』を読んで、幼い心の中にあった「自分は文才がある」という何の根拠もない自信は打ち砕かれてしまった。
私は同級生よりずっとたくさん本を読んでいるし、父の本棚にあった村上春樹の著作もチャンドラーのフィリップ・マーロウシリーズも読破した、難しい漢字もたくさん書けるし、気になったことは図書館で調べてノートに書き留めている。自分なりに小説を書く練習もしている。それでも、
「学校なんかやめちゃってデカダン酔いしれ暮らさないか 白い壁に『堕天使』って書いて!?」
この文章、これは私には一生書けない。どれだけ多くの単語を知っていても知識があっても、この文章は私の中から生まれないだろうと直感した。
その後自分の書いた文章を読み返すと、酷く凡庸で退屈に感じられて、こんなものしか書けないなら意味なんかないと不貞腐れ、それ以降は小説を書くのを辞めてしまった。
自分では逆立ちしたって書けないような文章を書ける人がいること、努力では埋められないセンスが私にないこと、そして何より、自分の中の情熱が呆気なく消えてしまう程度のものだったということに打ちのめされた。今では、不貞腐れてたって仕方ないし自分のできる範囲で最善を尽くそうと思えるようになったが、それでもまだ、文章を書く度に心の中で当時の傷がじくじくと痛む。
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