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【日記】キスしても落ちない

ボディーソープが切れてしまったので、ドラッグストアに行った。

目当ての商品を手に取った後、蛍光灯の明かりに誘われる虫のように、ふらふらとコスメコーナーに向かう。特に欲しいものがなくても必ず寄ってしまうのだ。学生の頃に意味もなく書店の文房具コーナーをうろついていた頃から行動パターンが全く変わっていない。

ふと、あるリップのパッケージに添えられた文字 ━「キスしても落ちない!」が目に止まった。瞬間、私の脳内にふたつのハテナが駆け巡る。

  • ここでいう"キス"とは、どのようなキスなのか?

  • キスでの、耐久テスト(というのか分からないが)はしたのか?

キスと言っても、恋人同士が日常的に挨拶代わりに交わす軽めのキスから、お互いの口腔内に舌を差し込むような激しいものまである(余談だが、フレンチ・キスは軽めのキスとして誤用されることが多いが本来はディープキスを指すらしい。そういえば昔、イギリスではコンドームのことをフレンチレターと呼んでいたとも聞いた。フランスを性愛と結びつけすぎだ)。

落ちにくさの表現として使われているのだから、おそらく情熱的な、濃厚なフレンチ・キスのことなのだろう。そしてそれを売りにするほどなのだから、商品開発の際に様々なテストを当然したはずだ。実際にキスでの耐久テスト(?)はしたのだろうか。

ここで、頭に浮かんだ最初のハテナは妄想へと暴走する……。


とある化粧品会社の商品開発部の社員・マコト(仮)は、はやる気持ちを抑えられず、いつもより早足で上司の元へ向かう。白衣のポケットの中では、完成したばかりのリップの試作品がマコトの一歩一歩に合わせて弾んでいる。いた!今日もひとり残業中のようだ。

「課長!開発中のリップが完成しました」
「ああ、お疲れ様。"キスしても落ちない"リップですよね?」
「はい、本当に落ちないですよ!保証します。あらゆる素材と擦り合わせてみましたから。麻、ナイロン、シルク、プラスチック、陶器に…」
「キスのテストはしたんですか」
「え?」
「だから、実際にキスはしてみたんですか?」
「それは…あの…」
「”キスしても落ちない”と売り出すんだから、実際に試していないというのは、お客様への誠実さに欠けるのではないでしょうか」
「…」

マコトしばし無言で目を伏せる。別に褒められたくて働いているわけじゃないけど、でも課長には認めて欲しかったのに。しかし、すぐに視線を上げて課長を見つめる。いつもより強い、刺すような、何かを訴えるような眼で。

「じゃあ、今ここでテストさせてください」

マコトはポケットから、まだ素っ気ないパッケージに包まれた試作品のリップを取り出し、自身の唇に塗りつける。寝不足からか少し青白くなった顔の中で、唇だけがひとひらの花弁のように鮮やかに色づく。一歩踏み出し、そのままの勢いに任せて唇を押しつけ、課長が眼を見開き何かを言いかける口を塞ぐように、もう一度口づける。「一回だけじゃテストになりませんから」なんて言いながら。何度も何度も。マコトは、課長の細く繊細な指が自分の頬に添えられているのに気付き、少しだけ我に返る。このもう何度目かのキスは、"テスト"のためなのだろうか?その思考は課長から重ねられた唇によって遮られる。

月明かりに照らされ、重なり合うふたりの影が、オフィスの窓に静かに映し出される─。


なんて破廉恥な!リップは落ちないけど、意中の相手はオチましたってか?やかましわ。いや、私が創り上げた架空のストーリーなんだから、やかましいのは私自身である。しかし妄想はここで止まらずさらに加速する。もしふたりが付き合うことになった場合、きっとマコトは誰かがこのリップを手に取るのを見かける度に、その日のことを思い出すだろう。そして課長の家に赴き、熱烈なキスを交わすのだ。そうして消費者によって誘発されるふたりのキスは何回くらいあるだろう?ええと、マコトが週に一回はドラッグストアに行き、このリップの年間出荷本数が5-10万本とすると…。全くもって意味不明な桃色フェルミ推定を始めたところで、別のお客さんが後ろを通りがかり、私は現実に引き戻され、当初の目的であったボディーソープの購入を済ませてそそくさと退店した。

何故こんな妄想をしてしまうのか。私自身は恋愛に縁も関心もないのに。きっと、ハーレクイン・ロマンスを読み漁っていた思春期に、私の脳内にロマンス回路が出来てしまったに違いない。ほとんど反射なのだ、これは。

化粧品会社の人たちは真剣に、もっとちゃんとしたテストをしているはずだ。キスはさておき、食事をしても落ちないかは実際に試している気もする。どんなテストだろう?宅配された各国の料理がオフィスの清潔な白いテーブルに並べられているところを想像する。同じリップを塗った商品開発部の社員たちがひとくちずつ食べるのだ。パスタ、スープカレー、マンゴラッシー、ビャンビャン麺、小籠包、ハンバーガー……。

いけない、また妄想の世界に飛んでしまった。ロマンス回路を閉じても、この妄想癖自体は生来のものなので止められない。ああ、今までの人生で妄想していた時間を別の勉強に充てていたら今頃パイロットにだってなれたかもしれない。

これ以上妄想が膨らまないように、ここでnoteを閉じよう。最後に、一番リップが落ちやすいと感じるご飯を発表して終わろうと思う。

一番リップが落ちやすいと感じる食べ物
→でっかいチーズナン

以上。

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