「多芸は無芸」は有能の証
言葉というのは決して普遍的なわけではなくて、意味や使われ方は時と共に変わる。
本来その言葉が意図していたものとは違う使われ方になることも珍しくない。つまり、本来は良い意味であるはずのものが、そうでない言葉になることもあるということだ。
その1つが「多芸は無芸」というフレーズ。
英語の “Jack of all trades, a master of none” という言葉に由来していて、英語でも日本語でも、あまり良い意味では使われない。だけど、本来は、マルチな技能を持つ人を称賛する言葉らしい。
実は、これには続きがあって ”Jack of all trades is a master of none, but oftentimes better than a master of one” というのが元々の表現だ。
上手く訳せないけど、「何でもできる人は何も極めていないが、往々にして、一つのことを極めた人よりマシである」といった感じか。
シェイクスピアが言った言葉だとか、どこかの誰かがシェイクスピアを指して言った言葉だとか、ネットでいくつか情報を見つけたけど、けっきょく何が元ネタかは分からない。
どちらにせよ、いかにもイギリスらしい、皮肉めいた言い回しだ。”none” と “one” でしっかり韻を踏んでいるところも粋。
ともかく、このイギリス流ユーモアセンスあふれる言葉は、言い得て妙だなと思う。
実際、一つのことでは優秀でも他のことではクソみたいな奴より、ある程度なんでもこなせる人のほうが役に立つ。結局、「一芸に秀でる」なんてのは「それしかできない」ってことでしかない。
スペシャリストよりもゼネラリストのほうが生き残りやすいのは世の常だ。スペシャリストは替えはきかないかもしれないが、つぶしもきかない。何かしらの理由で自分のスキルや知識が使えなくなったら、人生詰む可能性だって大いにある。
リスク分散という観点からも、一芸に秀でるのは必ずしも良いことだとは言えないと思う。
それに比べると、「多芸は無芸」タイプの人(多芸多才といったほうがいいかもしれない)は 、どんな環境でもそれなりにやっていけるので、人生が詰む可能性は低いはず。
何も極めてないのを、「自分は凡才だから」という人がいるけど、これは言っておきたい。
凡才は立派な才能である。
無才とは全く違う。
これは断言できる。
僕は、「凡才なんで~」と言いながら何でもこなす有能な人をいっぱい見てきた。
嫌味か、と思っていた。僕自身は一芸に秀でてすらいない、正真正銘の無能だからだ。
器用貧乏は、決して損なことではない。
それは貧乏どころか、むしろ豊かな可能性の裏返しなのだと思う。