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龍〜日常にとけこむ神秘〜 を観に行ったってハナシ
※全文無料で読めます。
近美(東京国立近代美術館)に埴輪と土偶の近代を観に行った。
近美までの道を歩いていると、隣の国立公文書館で何やら面白そうな展示がやっていたので入館してみた。入館料も観覧料も無料。その展示はこちら、龍〜日常にとけこむ神秘〜
令和6年(2024)の干支は辰です。「動物」としては龍が充てられています。龍は、想像上の存在であるにもかかわらず、日本文化に深く浸透し、多くの人が、その姿をイメージできる不思議な「生き物」です。本展では、辞典類での龍の解説や、物語や逸話に登場する龍、龍にあやかり名付けられたものなどを、当館所蔵資料からご紹介します。
確かに龍は実在する生き物ではないが、誰もがイメージできる。龍といってまず頭に浮かぶのは『ドラゴンボール』の神龍(シェンロン)。学校で歴史を学ぶ前からドラゴンボールを読んでいた、観ていたという人はとても多いはず。鳥山明が龍のイメージに与える影響はとても大きい。
中国や日本では龍はとてもメジャーな空想上の生き物であるが、欧米ではどうなのだろうか。完全に私の主観であるが、欧米の竜は『竜』という字があてられ、日本や中国では『龍』という字があてられていると思う。また西洋的な竜、ドラゴンと呼ばれるものは手と足を持ち、長い尻尾に体躯より大きな翼を持っているものが思い浮かばれる。一方、東洋的な龍は蛇のような長い体を持ち、日本では3本の足、中国では4本の足があり、翼を持たないが空を飛んでいるイメージがある。
『龍』という文字をあてられている方は、東洋的なイメージを持ち神聖視されていることが多いように思う。中国、日本、韓国などのアジア文化圏で「水の守護者」「自然の象徴」「皇帝の象徴」などの文脈で使用され、神話や宗教、寺院の名前、芸術作品のタイトル、または格式を重じる名前などで用いられている。
『龍』と『竜』。同じ読み方の漢字だが、西洋と東洋で
竜/龍という生き物がどのように捉えられていたのかが分かって面白い。
西洋と東洋とでの違いや、中国と日本とで描かれる足の数が違う事については、調べてもいないし、今は調べる気もないので閑話休題。
展示自体は大きくなく、じっくり見ながら回っていても30分もあれば回れる程度。国立公文書館というだけあって絵だけでなく、書物の中にでてくる龍について展示してあるのでその全文を読もうとすれば、もっと時間はかかる。
もちろん当時の資料なので今の日本語のようにスラスラ読める訳もなく、漢字だけ、漢文、筆で書かれていたりして読もうと思って読めるものでもない。
もし全部読めるのであればさっさと学芸員か研究者にでもなった方が良い。そしてその内容を私に教えて欲しい。酒ならいくらでも奢るので。
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人間?神?を殺してしまったために、お家に帰れなくなってしまった応龍さん。中国の龍には翼あるあるイメージが無かったがこの子はある。
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両龍ではないけれど日本子供昔話に出てきているあの子供は龍の背中に乗っている。あの子はより高位の存在なのか?
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二体の龍が対峙するように描かれている。双方とも足は3本しか描かれていない。
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狩野探幽が描いた龍。龍の展示なので龍を出しているのはわかるが、虎も観たい。体のように描かれている黒いモヤのようなものは、雷雲をまとっている様を表しているものなのか。『ドラゴンボール』の神龍も出現する時は雷を伴って現れる(うろ覚え)。
鳥山明も神龍を描くに当たって龍について調べたり、取材したのかなと考えたりした。
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龍にまつわる植物の解説もあった。国立公文書館には車で行ったのだが、その道中に龍牙草のような植物を車の窓から見た。
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今昔物語集においては龍の栖は大海ノ底とされている記述がある。大海の底に栖をかまえ、空を飛ぶのか。圧力の変化で目玉とか内臓が飛び出そうだなと思ったが竜は空想上の生物である。空想科学読本でもあるまいし、細やかな科学的な検証を行うなど野暮なことはしない。
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安徳天皇は、身体から宝剣を奪われたヤマタノオロチが何世代にとかけて生まれ変わった姿であり、その正体は竜宮城の主である竜王の子である
酒を飲まされベロベロになったところを素戔嗚尊に倒され天叢雲剣を体から抜き取られた八岐大蛇の生まれ変わりで、竜宮城の主である竜王の子であると。
安徳天皇は、満6歳4ヶ月という若さで崩御し、唯一戦乱で落命した天皇である。また、歴代天皇の中で最も若くして崩御した天皇でもある。
二位尼に「波の下にも都がございます」と慰められ、抱かれたまま安徳天皇は壇ノ浦に沈み、その際一緒に三種の神器のひとつである天叢雲剣も壇ノ浦に沈んだ。
海に沈んだ安徳天皇が竜王の子であるという話は、幼くして源平の戦に巻き込まれ、海に身を投げて命を落とした天皇という事を考えれば、後世にこういった伝承が残るのも十分考えられる。
しかしだ。八岐大蛇はどこから出てきたのだろうか。天叢雲剣は天皇と一緒に沈んだが、元々は八岐大蛇の尾から出てきたものだ。なぜ八岐大蛇が生まれ変わり安徳天皇に?一緒に沈んだことに何か関係があるのだろうか。
八岐大蛇は年に一度現れ、娘を食べてしまう怪物である。何世代もかけて生まれ変わったとは言え、その末裔が安徳天皇というのは大丈夫?という気持ちになってしまう。
ドラクエ1のラスボスは『りゅうおう』だが、ドラクエ2で登場する『りゅうおう』は1で倒された『りゅうおう』の子孫で、特に悪さもせずに城にいる、みたいなあれなのだろうか。
とりあえず八岐大蛇だの素戔嗚尊だのを思い出したら『大神』をまたやりたくなった。面白いんだ、このゲーム。
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長崎は、横浜、函館に次いで日本で3番目に近代水道が整備された都市です。明治時代に水道が敷設された当時、水栓には、近隣の人々が吸水のために共同で使う共用栓と、非常時に用いる防火水栓がありました。『長崎水道一班』におさめられた防火栓の図には、獅子の装飾が確認できます。
この文章を読んで横浜、函館に次いで3番目に長崎に近代水道が整備されたのはなぜなのだろうか、という疑問が浮かんだ。
なぜ横浜・函館・長崎に近代水道が整備されたか
これから書くことは龍に全く関係がない。そしてこの記事を書くにあたって一番時間を使った部分である。仕事でもやりがちだが、本題とは全く関係ない部分に力を入れすぎて本来作るべきものの作成に時間がかかることがよくある。ゆえに無能なのだ。
3つの地域に共通するのは、どれも港町という事である。横浜、長崎はどちらも国際貿易の拠点として栄えた港であり、特に長崎は江戸時代から出島が置かれ、オランダや中国と貿易をしていた。また、函館は対露防衛と北海道開拓の拠点としての役割を担い、政治的・軍事的に重要な場所であった。
加えて外国人居留地の存在も共通する部分である。
日本の近代水道は、1887(明治20)年10月17日、イギリス人技師「ヘンリー・スペンサー・パーマー」氏の指導のもと、横浜に初めて創設されました。
「近代水道」とは、川などから取り入れた水を濾過ろかして、鉄管などを用いて有圧で給水する水道のことで、今日の私たちが使っている水道の仕組みと同じものです。
安政6(1859)年の日米修好通商条約により横浜,長崎とともに開港し,その後 市勢が急速に発展しましたが,当時の函館は水利の便が悪く,日常の飲料水にも 事欠き,さらには度重なる大火や,コレラなどの伝染病により多くの犠牲者を出 していました。このため,水道創設の要望が市民の間に高まり,明治 21(1888) 年に水道創設事業に着手し,横浜に次ぐ日本で2番目の近代水道として,翌 22(1889)年に完成しました。
長崎は、早期から海外との貿易窓口として外国文化が流入したこともあり、当時の日本では文化の水準が極めて高く、江戸時代の末期には長崎に行かなければ文化人になれないとまでいわれ、全国から若者たちが集まってきました。
…
しかし、海外からの輸入品とともに伝染病の流入も多く、コレラなどの疫病が長崎から全国に広がっていきました。なかでも明治18年(1885)8月、浪ノ平町から発生したコレラは猛威をふるい、死者617人を数えました。
…
明治22年(1889)1月22日の臨時区議会において『区立水道布設議案』として可決されました。その後、工事期間2年余りにして、横浜(明治20年10月)、函館(明治22年9月)につぐ我が国3番目の近代水道(水道専用ダムの建設は我が国初)として明治24年(1891)3月に本河内高部貯水池及び本河内浄水場が完成し、同年5月16日から待望の給水が開始されました。
1858年に日本とアメリカの間とで結ばれた日米修好通商条約は関税自主権がなく領事裁判権を認めるなど日本側に不利な条約であった。しかし、大老の井伊直弼が朝廷の許可なく調印してしまい後の尊王攘夷運動のきっかけとなる。また話がそれた。
この日米修好通商条約によって、横浜・神戸・新潟・函館・長崎の5つの港が開港され、1887年に横浜、1889年に函館、1891年に長崎で近代水道が完成した。
横浜と函館が長崎よりも先に近代水道が整備された理由は、外国人居留地の規模や経済的・地理的な優先度や感染症対策、明治政府の政策などに関連している。
横浜は明治時代には日本を代表する国際貿易港として発展し、外国人居留地が設けられ、多くの外国人が生活していたので、清潔で安全な飲料水の供給が急務であった。
特に外国人にとって日本の井戸水や湧水は衛生的に問題があり、近代的な水道の導入が必要とされた。(知るか。)
また、感染症の流行も近代水道の整備を進めるきっかけとなっている。横浜では1860年代後半からコレラが何度も流行し、感染症の対策として安全な飲料水の確保が重要課題となった。こうした背景から、イギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーの指導のもと、近代水道が1887年に横浜に完成した。
函館は北海道開拓と北方防衛の拠点としての役割を担い、政治的・軍事的に重要な場所でもあった。漫画『ゴールデンカムイ』の作中でも函館は経済的に栄えている都市として描かれている。
1878年に大火災が発生し、大きな被害を受けたことや伝染病により多くの犠牲者が出たこと、横浜と同様に外国人居留地が設置されていたこともあり、近代水道の整備が急務とされた。
まとめると、横浜と函館が長崎よりも先に近代水道が整備されたのは、それぞれが日本の国際貿易の玄関口、または北方防衛と開拓の拠点として重要視されていたためであろう。国も資金が無限にあるわけではないので、経済的・軍事的に重要な場所に投資をするのは当たり前である。3番目に近代水道が整備された長崎も国にとって重要な場所であったことは間違いない。
さて、展示の内容に戻ろう。
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欧米ではなく米欧なのがちょっと気になる。
『特命全権大使米欧回覧実記』には、明治5年9月イギリスのエディンバラで刺殺した製紙工場に関する記述があります。
製紙工場で紙の原料となる繊維を漂白し撹拌する工程を記すにあたり、水の注ぎ口を「龍頭」と表現しています。ここにおける「龍頭」は、「蛇口」の意味です。
かつて、現代における「蛇口」と同様の意味で「龍頭」ということばが用いられていたことは、水と関係が深く蛇と近似の存在とされた、日本における龍のイメージをよく表しています。
龍と蛇が近似の存在とされた、とあるが龍は龍、蛇は蛇という認識だったのでこれは意外だった。きっとこれも『ドラゴンボール』のせいだ。龍頭と蛇口が同じ意というのも、これまた意外だった。神社や寺などで手水舎の水が出ているところが龍の頭になっていることがあるが、それとも何か関係あるのかなと考えたりした。しかし、調べ始めると骨が折れそうなので調べないことにする。
修善寺や箱根神社は龍頭があった。
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東京の初期の共用栓は水の出口に龍がかたどられているから『蛇体鉄柱式共用栓』と呼ばれ、これが「蛇口」の語源となったとも言われています。利用者は側面にある穴に鍵を差し込んで水を出す仕組みになっていました。
この栓が東京のどのあたりにどれくらい設置されていたかは分からないが、相当手の込んだ栓だ。
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自社建築において、水との関係が深い龍の装飾を柱や梁、天井などに施すことで、火災除けになることが期待されました。図は、木鼻(柱の上部を貫通する横架材のうち、柱の外側に突き出た部分のこと)に施す龍の装飾の見本です。
龍を描いたり、装飾に使うのは権威などを表す為だと思っていたが、火災除けの意味もあったのかと思った。もちろん全てのものが火災除けとして期待されていたわけではないだろうが、これも初めて知ったのでいずれか深掘りしていきたい。鎌倉の円覚寺?のどこかにも龍の彫刻があった気がする。龍鳴きを聞くことができる寺の天井に書かれた大きな龍も火災除けだったりするのだろうか。
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全ての展示に所感を書けるはずもなく、特に気なった展示について所感を書いた。途中、近代水道について調べているときは何を書いているのだっけ?という気持ちになったのだが、新しいことを知ることは面白い知識と知識がつながって線になっていくときの感覚は何事にも変えがたいのだ。
この展示を見に行った後に、国立近代美術館の埴輪と土偶の近代を観に行った訳だが、その前の展示でここまで長く書いてしまったので、埴輪と土偶の近代の展示について書くとどれくらいの長さになってしまうのか。気が向いたらそのうち書く。
余談だが、国立公文書館の前に出ていたキッチンカー?の日本酒のラインナップが最高すぎた…。
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国立近代文章館や国立近代美術館に車で行く際は、北の丸第二駐車場を使うと便利。都内でありながら上限2,000円(2024年12月現在)で利用できる。台数も多く、もしいっぱいの場合は第一駐車場もあるので、そちらを使うと良いかも。注意点は22時に閉まること、トイレはあるがノンウォシュレットであることである。
お腹が空いたらパレスサイドビルの中に飲食店街があるのでそこに入れば何かしら食べたいものが見つかると思う。近くに喫煙所がないので、喫煙したい場合は喫煙可の飲食店に入る以外に選択肢はない。
では。
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