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ep.7 京町家、いいよね

私が京町家を含む古民家の魅力に取り憑かれたのは、何を隠そう、妻の影響だと思っている。私はガチガチの理系人間だった。大学は理学部、研究を続けたくて大学院まで行った。でも、一つのことを追究していくのがあまり得意な方ではない。というか、物事を追究するのに、周辺の事も知る必要があるから、広い致死は必要になる。当時は、一つのことをひたすら続けることが求められていたようなので、大学院の指導教官に「君は研究には向かない」と言われ、ドクターコースには進まず、修士号まで取って、出版社に就職した。作文が苦手のくせにである。ただ、私の就職した出版社には、そういった人間がゴロゴロいた。専門科向けの雑誌を出していたので、専門お知識を持った人間が必要だったのだろう。にんげんというのは、不思議と、自分にないものに魅力を感じてしまいがちである。妻は幼稚園教諭で、生身に人間を相手に仕事をしている。妻のお父さんは画家で、古い造形の物を好んでいた。柳宗悦の民藝運動にも興味を持っておられたようで、その影響もあったのだろう。古民家や古民具にとりわけ興味を持っているのだ。結婚して一緒に生活するうちに、私も自然とそういったものに興味を持つようになった。家具の大半は、松本民芸家具か古民具である。妻は別冊太陽というムック本をよく買っていたが、『京の町家に暮らす』なんてのも本棚にあった。

京町家の原型は太閤さんの時代から

現代の京都の形ができたのは、平安京の時代からではない。太閤さん、すなわち豊臣秀吉の治世以降である。それまで正方形だった区画が南北に長い長方形になった。京都の民衆の家屋が「うなぎの寝床」(間口が狭く奥行が長い)になった所以である。そういった形状のなかで、住みやすい工夫がなされていったようだ。現存する京町家は杉本家住宅のような特別な建物(登録有形文化財など)を除き、昭和初期のものが多いようだ。戦後は建築基準法によって、京町家のような構造を持ったものは、構造の強度足らないため、建てられない。
京都造形芸術大通信で、杉本家住宅で京都の暮らしを知る授業を受けたことがある。杉本家は「奈良屋」という屋号の呉服屋さんで、江戸時代に建てられた建物は平成23年に国の名称に指定されており、公益財団を作って保存運営を行なっている。一般公開(期日限定)されている時は、ぜひ訪問すると良い。また、京町家は、建て替えなどにより、どんどん減っているそうです。私自身の関連する活動に参加できれば思っています。

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