MEMVRANI

DYR Creationが提唱する概念であるMEMVRANIは、個々の人間の精神と物理的な世界の境界に存在する、概念上の膜のことです。五感のような人間の知覚は不完全なため、個々の人間はこの膜を通してしか外の世界を見ることはできません。また外の世界の人間も、ある個人の内面を、この膜を通してしか見ることはできません。精神と物質という、互いに融合することのない二つの要素が接する境界のことを、MEMVRANIと呼んでいます。

さて、私たち人間は、実は大昔からMEMVRANIを利用しています。服飾は、不可視な個人の内面を世界に対して公表するために、はるか昔から人間の文明とともにありました。単に服の機能性のみを利用するのではなく、時に所属を表すために、時に異性の気を引くために、時に故人や新郎新婦への気持ちを伝えるために、私たちは服飾の非言語コミュニケーション能力を利用してきました。私たちはファッションによって、精神と世界とを繋ぎ止めてきたのです。

では、人型の機械はどうでしょうか。近い将来、人間と同じ生活空間の中で人型機械が労働するようになることは、ほぼ確実です。その時、もちろん人型機械も服を着るはずです。しかしその服は、従来の人間の服とは意味が異なるでしょう。つまり、服の物質的な機能性のみが利用され、非言語コミュニケーションのツールとしては使われないでしょう。なぜなら機械は精神を持たないからです。精神がなければ、MEMVRANIに表明するものは何も無いかのように思われます。

このことは人間にとって強い問題を孕んでいます。人間の生活空間の中で、人間と同じような見た目のものと共に労働しようというのに、それは全く人間性が通用する部分を持っていないのです。人間の同僚のような接し方はできません。理解しがたい異物がそこにあるのみです。その違和感は、人間の精神にストレスを与えてしまうことでしょう。

私たちは、犬や馬や象に服を着せてきました。それは仕事の道具として使いやすくするという意味の他に、それら人間でない知性とコミュニケーションを取るための方法でもありました。服を着せられた動物は、人間社会の中で人間とともに生活することを許容され、人間の仲間として迎え入れられました。私たち人間は、人間性のないものに服を着せることによって、人間社会の一員にしようとする習性を持っています。

DYR Creationは、MEMVRANIというファッションブランドを確立させたいと思っています。人型機械の服飾屋です。これまで歴史の中で人間と関わってきた非人知性とは異なり、機械は精神を持ちません。動物とのようなコミュニケーションはできないかもしれません。機械を人間社会の一員として迎え入れることは、完全にはできないのかもしれません。それでも、DYR Creationは人型機械に服を着せようと思います。精神を持たない機械に、せめて意味のあるMEMVRANIを持たせたいと考えています。人間が機械に着せたMEMVRANIの向こう側に、存在しないはずの機械の精神を感じていただければ、DYR Creationの企みは完全に成功です。

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(さっきファッション通信見てたらファッション業界がそのうち(3年くらいで)この理念に追いつきそうな潜在力を感じるなぁとビビっちゃったので、6〜11年後くらいに世に出す予定だったMEMVRANIの創業する時用の啖呵を先にここに置いておきます。結局形にすることができなければ意味がないのですが。)

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