僕がもう一度商業誌でやろうと思った理由
2017年末に「僕に彼女が出来るまで」の連載が終わった。その時の心境としては、「もう商業誌はいいかな」という気持ちだった。
僕が思う商業誌でやるメリットとデメリットについてはこの記事で書いたので興味のある方は読んでみて欲しい。
1度連載を終え、2年間の空白の後、再び連載するに至った経緯について書いてみようと思う。上記記事と被る内容もあると思うが、ご容赦願いたい。
そもそも僕カノは編集者と一緒に作り上げたものでは無く、自分発進で始めたものだった。より具体的に言えば、まさしく今文章を書いている「note」で公開したのが始まりだった。
なかなか連載を勝ち取れなかった僕は、何かをさらけ出さなければならないと思った。そんな折、東村アキコ先生の『かくかくしかじか』の面白さに衝撃を受けて、エッセイを描こうと思った。
「31歳童貞が人生初の彼女を作るべく奮闘する実録エッセイ」
我ながらキャッチーなコピーだ。ドキドキで公開ボタンを押したことを覚えている。反響は思ったよりも大きく、好意的なものが大半だった。周りの漫画家仲間からも「面白いね」「今、キてるね」と、はやし立てられた。Twitterでも憧れだった人から「いいね」や反応をもらえるようになった。自分が面白いと思うものを世間に認められる快感を知った。
ほどなくして出版社から「連載しませんか?」という話が舞い込んだ。ネットで反響があれば、自分から持ち込んだりしなくても連載できることを実感として理解できた。連載はサイトの中でも上々の人気だった。単行本化も決まった。正に、漫画家として欲しかったものが次々と手に入ってくる状況だった。
しかし、本は売れなかった。
1巻は紙と電子で出版されたものの、2巻、3巻は電子のみになった。
僕は自分から打ち切りにして欲しいとお願いした。
理由はこちらで詳しく書いている。
ただ、それ以外にもいくつか理由はあった。
1、出版社は思ったほど宣伝してくれない
2、編集者と反りが合わない
3、自分だけでやれる
当時の僕はそう思っていたし、今もそう感じることはある。しかし、微妙にニュアンスというか立ち位置が変化している感覚がある。当時の心境をひとつずつ見ていきたい。
1、出版社は思ったほど宣伝してくれない
出版社がお金(原稿料)を出して連載させる以上、それをより多くの人に読んでもらうために当然してくれるものだと思い込んでいたプロモーションが、期待していたものとは違っていた。
2、編集者と反りが合わない
「なんでこんな言葉遣いなんだろう?」「なんでいつも事後報告なんだろう?」「前と言ってること違くない?」そういった小さなことが積み重なって爆発してしまった。僕は同じ目線で二人三脚で良い作品を作ろうと思ってくれる編集者を欲していた。
3、自分だけでやれる
そもそも個人発進で始めた漫画なのだから、自分一人でやれるのでは?という考えが強くなっていた。僕が出版社に求めていたのものの一つは宣伝力だった。それが期待通りでなかった時に、印税が10%しかもらえないのは損だと思うようになった。ちょうど、鈴木みそさんが話題になったりして個人出版の波が来ていた。個人でやれば、例えばKindle専売なら印税率は70%になる。
連載が終わった頃の僕の心境としては大体こんな感じだった。完全に個人出版の方に気持ちが向いていた。
連載が終わった後、僕は個人的に連載の続きを描こうと思っていた。「彼女を作る」ということをゴールに設定していたので、今度はちゃんと「彼女ができた」、もしくは「彼女ができそう」という状況になってから続きを描くつもりだった。
個人でも漫画を読んでもらうために、個人での発信力を高めようと思った。具体的には、Twitterのフォロワーを増やそうと思ったのだ。「童貞」というキャラクターを活かして「童貞あるある」を投稿したり、僕カノのスピンオフ的な漫画を投稿したり、仮想通貨が流行ったときは仮想通貨アイドルのライブレポを描いたり、ウーバーイーツ配達員の仕事の様子を漫画やイラストにしたりしていた。それなりに反応があったものもあるけれど、フォロワーの増加にはつながらなかった。
「続けることが大事」と人は言うだろう。それは間違っていないと思う。だけど、それには「自分が楽しんで発信している」という前提条件が必要だと思う。僕の前提は「楽しんで発信する」よりも「フォロワーを増やす」だった。
「フォロワーを増やす」が前提条件になると、発信することが「作業」になる。作業として描く漫画は楽しくない。それに対して反応が無いと尚更だ。こうして僕はだんだんとTwitter等で漫画を公開しなくなった。個人の時代というけれど、その道を一度挫折したとも言える。
僕カノを連載していた頃、いくつか連載の依頼があった。しかし、僕カノだけで生活はできていたし、原稿料が低いなどの理由で断っていた。僕は個人として力をつけること(自分の商品価値を高めること)を考えていたので、自分の求める一定以上の条件でなければ仕事はしないと決めていた。当時はそれが正しいと思っていたし、正直今も正解は分からない。
しかし、僕カノの連載が終わった頃から徐々にそういった話も来なくなった。
そんな折、人気WEBライターのヨッピーさんの「明日クビになっても大丈夫!」という本を読んだ。
本の中で、「『楽しいから』という理由でノーギャラでも仕事を受けていた時期がある」という内容を読んで衝撃を受けた。
その後、グラビアアイドルの倉持由香さんのインタビュー記事を読んだ。
特に、「仕事を切らさない方法」として「相手の想定を超えるパフォーマンスを出す」という姿勢に感銘を受けた。倉持さんは売れない時代を長年過ごした後、個人の発信で話題を集めてその結果仕事につながったタイプだ。だからこそ、もらった仕事に全力なのかもしれない。
この頃から僕の意識が変わり始めた。
仕事を受けるかどうかの判断基準は、「お金」よりも「面白いか面白くないか」だ。そして、やるからには求められている以上のもので応えよう。
そう思うようになった。
もう一度、連載が終わった頃の心境を冷静に振り返ってみた。
1、出版社は思ったほど宣伝してくれない
売れるかどうか分からない新人に対して宣伝費や労力を掛けられないのは仕方ない。やれる範囲で最大限やって頂いたと思う。個人でも、もっとうまい宣伝方法があったかもしれない。
2、編集者と反りが合わない
人対人なので、合う合わないはある。そもそも僕が人付き合いが下手である。
3、自分だけでやれる
自分だけでやれなくはない。しかし、努力と工夫が必要。
…という感じでややマイルドな考え方になった。僕は、本が売れなかった理由を自分以外のどこかに求めていたのかもしれない。
2017年に連載が終わり、2018年の夏頃からは、ウーバーイーツ配達員の仕事で生活費を稼いでいた。2018年の冬には、ネタ作りの意味も込めてスキー場でリゾートバイトをやってみたりした。
すると、リゾートバイト期間中に出版社からある仕事の依頼が舞い込んだ。久しぶりの漫画連載の企画だ。
提示された原稿料は僕のイメージよりは低かった。
しかし、「面白そう」と思った。
そして、自分を必要としてもらえることが嬉しかった。
それが「僕がもう一度商業誌でやろうと思った理由」だ。
そんな新連載の第1回が公開中です。
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佐藤ダインの生存戦略
漫画家として、似顔絵師として、フリーランスとして、30代男としてこの時代を生きる人間ドキュメント。日々考えていること、恋愛やお金に関するこ…
夕飯が豪華になります。