旅とお金 現代社会

どんなに物価が安い国でも自給自足や誰かが助けてくれる以外に、やはりどうしてもお金はかかってくるのが現実社会だ。

一時期はお金なくても暮らせるじゃんとも思った。お金はそんなにいらないとも思った。
思考がそうだからやはり現実もそうなる。

多様な考え方がこの世界には広がるが、どれが正しいかとかはやはり未知数なのだと思う。
確かにお金があれば、この物質世界ではいろんなことがサービスとして受けられたり、物が買える。

だからと言ってお金があっても幸せなのかと言えば、そうでない人も大勢いる世の中だ。

私の旅は本当に貧乏だった。
それまでは働いていたりしたので、正直困ったことがなかった。好きなものを食べ、買いたいものを買い、普通の10代にしてはかなり頑張っていた方だと思う。
当時はヴィヴィアンのブランドが好きだった。ご褒美として18歳にしたりブランド物持ちだった。
この頃は摂食障害、過食嘔吐症が一番酷かった時期だった。
東京に来て間もない頃、私は旅行関係の仕事をしながら、アンダーグランドと言われる世界に浸っていた。
今思えば、あんなことまでやったのに、この価値なのか…とがっくりするような金額だが当時はやっていることの価値と対価についてなんて考えたことがなかった。
若いながらにして小金持ちだったと思うが、ある意味自己犠牲的な稼ぎ方だった。
頑張って稼いだその半分以上は、過食代へと変わっていた。
食べたものは、全て自己誘発嘔吐で流されていく。

とにかく孤独だったと思う。その孤独感を埋めるために食べた。
自分がどうやって生きて、何が喜びで、、、なんて考えることもなかっただろう。
いつも抱えているモヤモヤの正体は一体なんだったのだろうか。
何に向き合ったら良いのかなんて知らない。ひたすら食べて吐いて、毎週違う男と一緒にいて、セックスに、性に埋もれていた。精神科にも通っていて出された薬を飲んで記憶を失うように寝るような毎日だった。

旅に出てから、お金が本当になくなる、という経験を何度も繰り返した。
繰り返しては慌てる。結局人が助けてくれたり、どうにかなったりだったがこの繰り返しとしっかりと向き合うことが出来ていなかたった。

マッサージという武器があったらから、ある意味救われていたのかもしれない。
個人でお客さんを取ることを意図すると、不思議と客足には困らなかったが、カツカツなのは変わりない。

旅を経て、やはりお金は必要なものだと思う。
まず自分を喜ばせてあげる事のできる大きなルーツで豊かさだ。

お金についての対話はやはりまだ続いているのだが、自分が我慢しないで楽しくできる金額設定については、悩んだりする。

私が本当にしたいことは何か、という問いに、「旅自体を仕事にしてしまう」ということだ。
拠点はいくらあっても良い。それを現実化させるためにやはり出版はしたいことのひとつだった。やはり、自分の体験を知って欲しいのだ。
自分のプロセスを多くの人に知ってもらいたいし、喜びの多い人生を歩んで欲しい。
最初は純粋な願いだった「摂食障害が治ったら、出版したい!」
それが大人になって、すいも甘いもいろんな経験をして
やはり金銭面の充実感は欲しいと望む。
自分のことを知ってもらいながら、お金も大きく回しながら、このストーリーが生きづらさを抱えていたり、もっと人生をよくしたい人、病気で苦しんでいる人への励ましの何かの一歩になったら本当に嬉しいと思う。
これはかつての自己犠牲的なお金の回し方ではない。
自分が本当に喜べて、多くの人に何かを伝えていく。
あと1年後にはここまでたどり着いていたい。
世界中で旅はまだ続けたい。その為に今はなんとしても形にしていきたいのだ。

もしかしたらお金が必要なくなる世界が来る時代が来るのかもしれない。
それが本当にそうなるのかならないのかは今はまだ分からない。
だから、今の望みを解き放てばいいのだと思う。

先のことを考えることも大事な事なのかもしれないけど、やはり「今を精一杯生きる」スタンスでありたい。
何もしなくても良い自分も含めて、そんな存在やあり方でいたい。
私はパッションの女だ。だから生きるパッションをこれからも拡大成長し続けていきたい。

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