「香住海岸」は、兵庫県の日本海側、但馬地域にある。
山陰海岸ユネスコ世界ジオパークの中核をなす山陰海岸国立公園の、さらにその中核にあたり、日本海の荒波が彫り上げた国内有数の豪壮な海岸風景が広がっている。
その海岸風景は多種多様な洞門、島嶼、断崖などから成っているが、国の天然記念物である柱状節理の断崖「鎧の袖」をはじめ、船に乗って海に出なければ拝めないものも多い。
そのため遊覧船はこの地の探勝に欠くことのできないインフラであり、現在は、小型漁船を遊覧船として活用した「かすみ海上ジオタクシー」が、毎年春から夏の海況が穏やかなシーズンに運航している。
海上タクシーから見た香住海岸の風景をいくつか。※筆者撮影
ところで、かすみ海上ジオタクシーが開業したのは最近で、令和元年のこと。
平成28年までは「かすみ丸」という比較的大型の遊覧船が戦後より長らく続いていたが、 閉業してしまった。その閉業から海上ジオタクシーの開業まで、約2年間の空白があった。
山陰海岸ジオパークの中核をなす山陰海岸国立公園、さらにその中核をなす香住海岸。その探勝の手段がまる2年ものあいだ失われていた。香住海岸のみならず、山陰海岸国立公園にとっても、心臓を欠いたような損失だ。
相当な事件だったはずだが、当時、地域ではどのように取り沙汰されたのだろうか。その様子を、香美町議会の記録を中心に辿ってみたい。
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まず、遊覧船かすみ丸の閉業が明らかになった、平成28年春の議会。
町長は、新しい事業者が出てくることを「切なる願い」としている。
一方で、町議員たちはその答えに満足しない。この平成28年春を端緒に、複数の議員から質問攻めが始まる。
こうした声も後押しになったのだろう。平成28年度末、次年度の予算案について審議する段になって、町が一手を打つ。
さて明くる平成29年度、この「調査業務」の進捗が町議会において度々報告されることになる。
まずは滑り出して少し経った6月。
続いて9月。予定では、ここで業務完了となるはずだったようだ。しかし進捗は芳しくない。
ここで示唆されたとおり、調査業務は延長となり年末にもつれこんだ。
結局、平成29年度の議会において良い報告が出ることは無かった。調査業務が平成30年度に持ち越されることはなく、他の手も無かった。
そして町が遊覧船再開を断念したということが、翌4月に新聞記事に出る。
関係者はきっと暗澹たる気持ちで迎えたに違いない平成30年度、しかし、海上タクシーの開業に向けた動きが突如として生まれてくる。
新聞記事や議会録だけを見ていると唐突なことに見える。
平成30年度の間、着々と開業への準備が進んだようだ。平成31年度を迎え、海上タクシー開業に至る。
再開断念の意が示された平成30年4月の時点では、調査業務に取り組んでいた町も商工会も海上タクシーを立ち上げる動きを把握していなかったようだ。
そんな中でどのようにして海上タクシーの芽が出てきたのか。以下のようなインタビュー記事があった。
遊覧船を惜しむ観光客が多く、自分たちで何か始めなければと思った……。
サラッと書かれているが簡単なことではないだろう。 現に、町や商工会が新規事業者さがしに躍起になっていた平成29年度の間は、ついぞ名乗りを上げずにいた。
町が潔く一年で調査を打ち切り、断念の意を表明したことは、批判の声もあっただろうが、海上タクシーの有志たちに決心を促すという点で意味のあったことなのかもしれない。
何にしても、自分が香住を訪れた頃にもし海上タクシーが無かったら、あのため息の出るような海岸風景に出会うことは無かったと思うと、本当に良かったと思う。