【ディラ研】音の重箱の隅 第1回:「雨の日の女」(『ブロンド・オン・ブロンド』収録)

2020年8月29日付で別のブログにアップしていたものを一部修正のうえ転載しました。

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■原題: Rainy Day Women #12 & 35
■曲のキー: F
■ディラン: 歌、B♭ハーモニカ(セカンド・ポジション)
■その他の演奏者
  ドラムス: Kenny Butley
  ハモンドオルガンの足踏みペダル(寝転んで手で押した): Henry Strzelecki
  タンバリン(とガヤの一人): Al Kooper
  ピアノ: Hargus Robbins
  トランペット: Charlie McCoy
  トロンボーン: Wayne Butler
 ※以下、クレジットなしだが可能性あり
  ガヤ: 上記メンバー+アルファ?
  エレキ・べース: Wayne Moss
  低音域のホーン: 不明
■録音場所:テネシー州ナッシュヴィル、コロンビア・ミュージック・ロウ・スタジオ
■録音年月日:1966年3月10日0時~3時(テイク1)

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いきなりですが、Gary U.S. Bondsの「Quarter To Three」、The Premieresの「Farmer John」、The Swingin' Medallionsの「Double Shot (Of My Baby's Love)」といった曲をご存知でしょうか? いずれも、少~多人数による歓声とか雑なコーラスとか時々ヤジなど(今でいう「ガヤ」?)が一種の効果音として曲中に散りばめられています。

特にダンス・パーティなどでこうしたレコードをかけて、一種の「アゲアゲ効果」というか、盛り上がったりしてたんでしょうね。Bruce Springsteenなどは、これを「パーティ・ノイズ」と呼んでいて、「Sherry Darling」という曲で用いたりしています。

そうそう、The Beach Boysに『Beach Boys' Party!』というアルバムがありました。あれも同様の効果を狙ったものかと。

日本では...AKB48の「チームB推し」くらいしか思い浮かびません。寡聞にして。(笑)

「雨の日の女」は、音楽的にはこうしたパーティ・ソングのディラン流パロディだと筆者は捉えています。

初期のライヴ録音を聞けば分かるとおり、1965年あたりまではディランが次々にくり出す素っ頓狂な歌詞を聞いて、聴衆はゲラゲラ笑っていたようです。同年8月に行われたフォレスト・ヒルズ・テニス・スタジアム公演の「廃墟の街」(初演)などを聞いていると、この時期でもまだ時々観客の笑い声が聞こえます。

笑いが起きることで、ディランの方も嬉しかったのではないでしょうか。おそらく本人も、シリアスな歌とユーモラスな歌のバランス、もしくは共存をはかっていきたかったろうと想像します。

ただ、「ライク・ア・ローリング・ストーン」の大ヒットやニューポートでのエレキバンド事件などがあった1965年夏秋以降は、だんだんそれどころではなくなってきたんでしょう。残念なことに、ディランのライヴでブーイングしたりヤジったりすることが一種のトレンドになってしまい、新曲の歌詞を聞いて笑うというリアクションがみるみる減っていったように思えます。

また、例のバイク事故以降は、今度は歌詞あるいはディランという人物をみんな真面目に深読み・裏読みしすぎて何でも解釈する流れになってしまい(70年代のロックコンサートにいるような「ライヴを楽しむ」観客は一定層いたと思いますが)、単純にライヴの歌や演出で笑わせるということはできなくなったのではないでしょうか。

ただし、80年代半ば以降に見られる「奇異な振る舞い」をのぞけば...(さらに時代は変わり、21世紀の視点ではそうした振る舞いさえ一周まわって「カワイイ」「カッコイイ」という好評価になっていくのですが。)

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さて、ここからが本題です。この曲では歌詞の内容、特に「stone」という単語の使い方を巡って今までさんざん議論が交わされてきたわけですが、元々は「stone」の掛詞を使った単なる際どいジョークソング、というだけで、それ以上でもそれ以下でもなかったのだと思います。

今回はサウンドの話を中心に書く予定なので、歌詞についてもあれこれ語りだすと、いつまでたっても投稿できなくなりそうです。後者については、また別の機会に取り上げるかもしれません。

この曲は、シラフの演奏に聞こえてはいけないというディランの意向で、参加メンバーはある程度飲むなり吸うなりしたうえ、簡単なリハをした後に1テイクで録音した、というのが伝説になっています。

アル・クーパーが奇声をあげながらタンバリンを叩く音が左側から聞こえてきます。結構ヨレヨレな演奏ですが、これこそがディランの意図を忠実に反映した雰囲気と演奏だったのでしょうね。

一方、スタジオ・ミュージシャンたちはこんなおバカなことしてると、将来依頼の電話が減るリスクもあった訳で、もう少し上手に取り組んでいます。

救世軍(ニューオーリンズ風?)のマーチバンドを入れたい、というディランの無茶ぶりに対して、プロデューサーのボブ・ジョンストンがチャーリー・マッコイに相談した、と。マッコイは電話してウェイン・バトラーという人を呼び出しトロンボーンを吹かせ、自分はトランペットを吹いた、という話です。

曲の構成は12小節ブルースですが、2小節単位でもう少し細かく動いています。この曲のキーはFですから、イントロの最初の2小節のコード進行は | F B♭・C7 | F F | みたいな感じですね。(「女の如く」も同じ進行です。)

ただし、実はさらにひとひねりしてあって、ベースが ド・ソ・ラ・シ・ド・ソ・ド・ソ(音名でいうと、F・C・D・E・F・C・F・C かな)と弾いているのに対して、ピアノとホーンはジャズでいう裏コードにして半音ずつ下がっていく、いわゆる対位法を使っています。だから、この曲のコード進行をより正確に言えば、| F Ddim・C7(on E) | F F | みたいになるのでしょうか。

このホーンの下がっていくメロディはどこかで聞いた感が強いですが、頑張っていろいろ調べてみました。鈴木カツ著『ボブ・ディランのルーツ・ミュージック』に書かれてあるとおり、"歌うカウボーイ" ことGene Autryの「The Rheumatism Blues」(1931年録音)でRoy Smeckが弾いたスティール・ギターのフレーズが一番近いように思います。ちょっとしたやり取りと鼻歌フレーズで本番に入れるくらいですから、ひょっとしたらナッシュヴィルのスタジオ・ミュージシャンにとっては、コード進行の細かい装飾を含めてある程度パターン化してストックしてあるフレーズの一つなのかもしれないのですが。

今のDTMソフトみたいに、「Fキーのブルース進行、ニューオーリンズ・マーチ風のノリで」の指示だけで「雨の日の女」のサウンドが作れるのなら、ナッシュヴィル・キャッツ恐るべし!です。

録音参加メンバーについて、『ブートレッグ・シリーズ第14集 カッティング・エッジ』ボックス・セットの英文ブックレットに記載されているクレジットは、どうも鵜呑みにするわけにはいかないような気がします。

この曲自体は1テイク録音かもしれませんけど、筆者はずっとオーヴァーダビングを疑っていました。特に低音域はハモンドオルガンの足踏みペダルで出しているらしいベース音とバスドラだけとは思えないのですよね。

たとえば、フェイドアウト寸前のところをよく聞くと分かるのですが、右側から低い音のホーン(チューバ?)でベースの音を出しているのが聞こえるように思いますし、エレキ・ベースも混じって聞こえるような...

90年代半ばに出たClinton Heylin著『Dylan - Behind Closed Doors - The Recording Sessions [1960-1994]』あるいはその数年後に流通し始めたGlen Dundas著『Tangled Up In Tapes - A Recording History Of Bob Dylan』などでは、当日の参加者とその人が普段担当する楽器名はある程度記載されているのですが、各曲の担当楽器の特定まではされていませんでした。特にこの曲は担当が変則で、ギターはまったく聞こえないので推測も困難です。

21世紀になって、ハワード・スーンズ著『ダウン・ザ・ハイウェイ - ボブ・ディランの生涯』という本が出て、他のゴシップやらに混じってこのセッションの話も出てくるのですが、この場面はおそらく主にウェイン・モスの証言を元にした描写になっているようです。で、誰かシラフで誰がそうでなかったかの記述はともかく、エレキ・ベースはモスが弾いたというのは信じてよさそうに思います。他の参加メンバーも『ブートレッグ・シリーズ第14集』のクレジットと一致します。

『ブートレッグ・シリーズ第14集』には同曲のリハーサル風景が少し入っているのですが、これを聞いたときはウラがとれたとともに驚きもありました。ディランが例によって出まかせの曲名を伝える後ろで、エレキ・ベースとホーンがベースラインのフレーズをユニゾンで合わせている音が聞こえるではありませんか!

ということは、後からオーヴァーダビングしたわけではなく、実はホーン3管を一発録りした? じゃあ、プレイヤーがもう1人いたのか?(低音ホーンは別トラックに録音されているっぽいですが)

う~む。

少なくとも、第3のホーンについてはもう少し調査の必要がありそうです。

しかし、もはやこれ以上詳細を語ってくれそうな当事者もほとんどいなくなってしまいました。なんせ半世紀以上も前の話だし、勘違いやもう忘れたってこともあるでしょう。まあ、こんなことに興味を持つ人がそれほどいるとも思えないですし。

そうそう、この日のセッションに参加していたロビー・ロバートソンは何をしていたのか、という疑問もあります。どうもタバコ休憩か何かでしばらく不在にしていた間に、打ち合わせから録音まで終わっていた、ということ「らしい」です。とりあえず、不参加ということで。

芥川龍之介の小説ではないですが、真相は藪の中になるのかも...

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