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【ディラ研/ザバ研】27枚組聞き倒しマラソン その27:給水タイム4(大桃探偵の帰還)

長年フリーランスで3D-CADをやっていた大桃が突如就職して、またもや引っ越してしまった。今度は兵庫県川西市よりさらに北の方なので、ものすごく遠いというわけではないが、それでも野暮用で会うには面倒な距離である。

そんな彼と久々に梅田で会おうという話になった。私の連載を両方(こちらとオトガタ名義)とも読んでくれているらしく、以前「面白がってる人もいるんじゃない? 数人だと思うけど」というLINEをくれた。

11月9日(土)の午後4時、待ち合わせ場所は紀伊国屋書店の音楽書のコーナーにした。どっちかが遅れても暇をつぶせるからなのだが、二人とも遅刻が嫌いな性格なので、たいてい待ち合わせ時刻の5~10分前には到着している。今回は大桃の方が先に来ていた。私の姿を見ると、立ち読みしていた『ジョージ・ベンソン自伝』を棚に戻した。
「よっ、Q、久しぶり」
Qとは私のことだ。
「どうだ、新しい仕事は?」
「今んとこ問題なし」
しばらくその場で雑談をした。大桃は自分の仕事の内容をほとんど語ったことがない。30歳頃まで探偵をやってたこと、探偵事務所を辞めてからは3D-CADを描いてあれこれやっている程度しか私も知らない。3D-CADなんていつの間に覚えたんだろうと思うが、そんな彼がまさか突然就職するとは。詮索するのはとっくにあきらめてしまった。

「う~、ザ・バンドの本、まだ出てないみたいだねえ」大桃が言った。
「遅れてるんじゃないの? 雑誌はともかく、単行本の発売日なんてあってないようなもんだし」
「トミー・リピューマの本もないなあ。ま、いいけど」
「手広く読書してるじゃないか。就職して羽振りがよくなったか?」
「いーや、Qの手伝いをしたくてね」
「なんじゃそりゃ」

お目当てのものがないと分かったので、書店を出て喫茶店に入ることにした。店はどこも満席で見つけるのが大変だったが、何とか潜り込んだ。
「早速だけどさ、1974年ツアーのフィル・ラモーンの話からしたいんだが。トミー・リピューマじゃなくてさ。そっちはコステロの嫁さんを大スターにした人だろ」
「俺もフィル・ラモーンのことはそれほど詳しくないよ。Qの方が詳しいくらいじゃないの? いい加減な意見しか言えないぜ」
「それで結構」
「Qは『ヒカルの碁』ってマンガ読んだかい?」
「また唐突な。読んだよ。あらすじはほとんど覚えてないけど」
「サイって登場人物、覚えてる?」
「いたねえ、平安時代から現代に蘇ってヒカルに囲碁を教えた人。途中で消えちゃったけど」
「うん、それがフィル・ラモーン」
「なんじゃそりゃ」
「Qも書いてたけど、ロブ・フラボーニと二人体制になっていることについて、東西の地とライヴ録音の経験が絡んでいるというのはいい線をついていると思う。俺も同意見」
「いやあ、ワトソン役としては嬉しいお言葉だね」

※フィル・ラモーンとロブ・フラボーニに関する話は、以下に書きました。

「で、ライヴ盤の制作は早々に決まってたけど、ロブ・フラボーニは自信がなかったかアドバイザーが欲しいということになって、コネクションがあったロビーか誰かがフィルに声をかけたんじゃないかと思う」
「なるほど」私はうなずいた。
「新たな情報が出てきたら、この説は覆るかもしれないけれど、フィルは1月30日と31日のMSG、プラスあと数日くらいしか関わってないと思うね。あとはロブと彼のスタッフの仕事。ひょっとしたらフィル側のスタッフも引き続き付き合っている可能性はある」
「やり方は教えたから、後はおまかせ~ってか? じゃあ何でできあがったライヴ盤にはニューヨークで録音した曲が「Knockin' On Heaven's Door」1曲だけしか含まれてないんだろう? 俺、27枚組でツアー初期の盤を聴いてた時は、ニューヨーク録音の出来が思わしくないからだと思ってたんだけど、30日はすごくよかったんだよね」
「というか、ディランとザ・バンド側にしてみれば、本当は全部LA録音でよかったんだと思うよ。1973年の暮れにLAフォーラムでゲネプロみたいなことをやっているみたいなんで、ハナから2月中旬に照準を合わせてたんだろうと思う」
「う~ん。。。なのかなあ?」
「たとえ1曲でもニューヨーク録音を含めることで、フィルの貢献をクレジットしておきたかったんじゃないか、というのが俺の説」
「そう聞くと、何かフィルはいいように利用されたって感じだけど、怒らなかったのかな」
「最初から取り決めがあったんじゃない? ま、交換条件はあったかもね」
「ん?」
「ディランの次作は?」
「なるほど、『血の轍』の録音ね」
「口約束があったのかは何とも言えない。でも、あのアルバムだってフィルと作った素材を半分捨てて、ミネアポリスで作り直してるところを見ても、何かディランが義理でフィルに頼んだ感じがしないか? 俺はQほどディランに入れ込んでないから、本当のところは分からんけど」
「俺にも分かるわけない。もしそうなら、ロン・ウッドじゃないけど「ふたご座」だから、で片付けたい気はするかな」
「なんじゃそりゃ」大桃が私の口癖で返した。

その後、ディラン絡みで星座占いからタロットや易経の話になったが、時間も限られているので、すぐ本題に戻った。
「じゃ、次はテープの話ね」
「来た来た。そこでこれですよ」大桃はリュックから本を取り出した。『トミー・リピューマのバラード』だった。

「えーっ、結局今回の話とちゃんと繋がってるわけだ」
「というわけでもないな。もちろん、ストーンズ版「Time Is On My Side」の話とか、写真家バリー・ファインスタインとの関わりとか、面白いエピソードには事欠かないんだが、ジョージ・ベンソンの『ブリージン』制作秘話は特にマルチトラック録音の苦労が分かって面白かったな」
「だから、さっきジョージ・ベンソンの自伝を見てたのか」
「ちょっとね。弦のオーヴァーダビングの苦労話だから、ジョージ・ベンソンの方はまた聞きだったりするんで、やはりトミー・リピューマ本人の体験談であるこちらの方が詳しいし正確だと思う」
「で、何があったんだ?」私は説明を急かした。
「時間もないから、ざっくり言うぞ。本は貸すから家で読んでくれ」
「ああ」
「まず、ベーシックなトラックは録音できた、と。その後でストリングスをオーヴァーダビングすることになって、クラウス・オガーマンに頼むことにした、と。彼の都合でミュンヘンでの仕事という条件でOKが出た、と。現地でトラブらないよう16トラックのテープでこのように録音したなどの情報を事前に知らせた、と。で、トミー本人とエンジニアのアル・シュミットがテープを持ってドイツに行ったら、押さえてたミュンヘンのスタジオ機材はベーシック・トラックを録音したテープスピードに対応してなかった、と」
「ふむふむ。で、それがディランとザ・バンドに何の関係が?」
「当時のマルチトラック録音用のテープに関する情報が得られる。16チャンネル用テープの幅は2インチが普通なんだ。2インチは何センチだ?」
「3フィートが1メートル弱だから、5センチ強だな」
「時々、Qの飛躍にはついていけない時があるな。でも答えは間違ってない。で、これを見てほしい」大桃はスマホをいじると、画像を私に見せた。

「大桃。。。お前これをどこで?」
「普通にネットで拾いましたが、何か? 見つけられなかったのは、Qの検索の仕方に問題があったんじゃないか?」
「素直に降参するよ」
「これは1月30日MSGの録音テープの箱に書かれた、あるいは貼られた記録だ。セカンド・エンジニア名がROB FRABONになっているのはご愛敬。フィル・ラモーン側のスタッフが書いたのかもしれない。16-Trackにチェックが入っている。注目してほしいのはTape Speedが30になっていること。音質はテープスピードが速いほど音はよくなるけど、その代わり録音時間は短くなる。ここでクイズです。このテープ1本につき何分録音できるでしょう?」
「知らんよ。使ったことないし」
「15分だ」
「そりゃまた、えらい短いね、あっ!」私が突然声を上げたので、大桃はニヤリとした。
「なるほど。分かったよ、大桃。ディランとザ・バンドは録音テープに合わせて15分単位で演奏しようとしてたんだ。でも、そんなにうまいこと行くはずもなく、いくつかは途中でテープ切れになってIncompleteなテイクが残ったわけか」
「それは言い過ぎかな。事情は知ってたろうが、合わせて演奏したかどうかは怪しいね。それに、ライヴ録音では通常マルチトラックを2台回すんだよ」
「まあ、失敗した時の予備があった方が安心だわな」
「違う違う。時間をずらして録音するんだ。一方のテープが尽きる前にもう一方を回す。これを交互にやるんだよ」
「さいですか。じゃあなぜ今回はこんなに欠品が多いんだ?」
「それは分からない。オフィシャル側の説明がないのでね。でも、Qも書いてたとおり、録音はしたけど破損・汚損で使えないテープがある程度あった可能性は高いと思う」
「俺の推理が珍しく当たった!」
「だから分からないって。単に俺もQの意見は一理あるなと賛成しただけ」
「さいですか」
「もう一つ指摘しておきたいことがある。もう一度さっきの画像の左上を見てくれよ」
「WALLY HEIDER RECORDINGか。何でニューヨークの録音に西海岸のレコーディング・スタジオが出張ってるんだろう?」
「ウォーリー・ハイダーの話もさっき渡したトミー・リピューマ本に少し出てくるよ。モンタレー・ポップ・フェスティヴァルに出たザ・フーが「My Generation」の最後で楽器を派手に壊すとき、マイクを確保するスタッフがいたのを覚えてる? あの中の一人がウォーリー・ハイダーらしい」

Wikipediaの記述から察するに、このおじさんが
ウォーリー・ハイダーだと思われる。お疲れ様です。

「こりゃトミー・リピューマ本を読まないといけないみたいだな」
「話を戻すと、ウォーリー・ハイダーは録音機材を積んだトラックを何台か持ってたんだ。その手のヤツでは、ローリング・ストーンズのモービル・ユニットが有名だな」
「ディープ・パープルの「Smoke On The Water」の歌詞に出てくるな」
「そうそう。ライヴ盤を作る時、わざわざ会場内にテレコやミキサーなどの機材を持ち込まなくても、マイクなどのケーブルをそれぞれ分岐して、会場の外に駐車したトラックに引き込めばいい。MSGの時はフィル・ラモーンとロブ・フラボーニも駐車したトラックの中で仕事してたんじゃないか?」
「ふうーん。じゃあ機材を積んだトラックもハリウッドからニューヨークやらシアトルまで出張したのか。地元の業者を呼んだ方が安くないか?」
「別の機材を使うと録音の出来にムラができるかもしれん。ジョージ・ベンソンの話じゃないが、機材によっては対応できない何かがあるかもしれん。スタッフが変わると引き継ぎの漏れが生じ」
「分かった分かった。確かに多少高くても同じメンバーの方がいいな。一括で依頼した方が値切れるし」
「そういうこと」
話が途切れたので、私は『トミー・リピューマのバラード』の表紙を見ていた。誰かに似ている気がしたが、すぐには思いつかなかった。
「Q、今回のお題については、こんなもんでいいかい?」
「そうだな、参考になったよ。ありがとう」

それから時間まで、能勢電鉄の話やら深川江戸資料館やらとりとめのない雑談をしていたのだが、席を立とうかというところで唐突に大桃が言った。
「ところで、27枚組は最後まで聞いた?」
「いや、まだシアトルまでしか聞いてないな。どうして?」
「マルチトラック録音の数は公式発表と一致したかな?と思って」
「俺も気にしてるんだがね。罠がありそうかね?」
「ノーコメント。Qの楽しみを奪っちゃ申し訳ないからな」
「それはどうも。本も借りたし、ここは俺が持つよ」私は伝票を掴んだ。
「今日は甘えるとするか。ごちそうさん」
店を出てから、大桃はまたリュックをゴソゴソし始めると、新書版サイズの本を取り出した。
「これも貸すよ。高校時代を思い出して読むのがいいんじゃないか」
タイトルは『EPICソニーとその時代』とある。作者はスージー鈴木という人だった。
「何これ? これも1974年ツアーと関係あるのか?」
「ディランやザ・バンドとは全然ない。でもまあ読んでみてくれよ。きっとオトガタ名義のネタにはなると思う。最近あっちの方はご無沙汰気味みたいだからね」
その表情はいかにも何かウラがありそうで、大桃はそれを隠そうともしなかった。






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