やっぱり会いたいと思ってしまうわたしは弱いのでしょうか
2020.3.22
わたしが初めて康二くんを生で見られるはずだった日。
中止と再抽選を経て、当落発表の日に来たメールは無観客配信が決定したという内容でした。
中止になってしまったことは仕方ない。
そりゃ最初は悲しくて悲しくて、悔しくて、意味が分からない!と暴れ回ったりもしました。
だけど悪いのは他でもない、コロナという目に見えないウイルス。
誰も責めることは出来ないし、悔しいのは彼らも一緒だと、どうにかどうにか腑に落としていきました。
滝沢歌舞伎が開催することになっても、あまりにも残酷な再三の"厳正なる抽選"の結果、康二くんをこの目で見ることが叶わないと分かった時は、絶望を超えて他人事のように感じていました。
そんな中、小学校からの友人が誕生日プレゼント!ってサプライズで取ってくれたチケットに、グルディス帰りの新宿のど真ん中でぼろぼろ泣いたこと、絶対に忘れないだろうな〜
と呑気に言うておりますが…笑
3度目の緊急事態宣言が発令され、4/25〜5/11の公演中止が発表されました。
わたしの手元に届いたチケットは、5/12のものでした。
ここで"良かった"とか"ラッキー"とか思える人間だったらもっと生きやすいんだろうなぁと思いますが、そこまで能天気でもいられないわたしは、ここから生き地獄が始まるわけです。
宣言がズルズル延長されることは目に見えていて、正直どうせ中止になるのだろうと思ってました。
あ〜わたしまた康二くんに会えないのか
そう思いながら、ここでもどこか他人事。
傷つかないための諦めモード、って言うのかな。痛みは最小限に、とにかく傷ついてないフリが上手くなっているわたしは、胸の奥の痛みも見ないフリ。
こうなったらもう早くトドメを刺してほしくて、暇さえあれば宣言で検索、延長が決まってからは滝沢歌舞伎で検索、の日々。
ただ、滝沢歌舞伎で検索すれば心無い言葉も感情剥き出しの言葉も目にする訳で、
どんなに傷ついてないフリをしたって傷ついてない訳ではないから、知らぬ間にどんどん傷が増えていってしまう。
中止期間外のわたしはどこまでいっても宙ぶらりんで、
身勝手な苛立ちと良心がぐるぐると葛藤していて、行き場のない不安とモヤモヤ。
中止組の方が悲しいから、余計な言葉で不用意に傷つけたくない…
そう思えば思うほど、じゃあこの不安はどこへいくのか?
再開すると分かった時、安堵した自分がいました。
あぁ康二くんに会えるんだ、って。
でも同時に、そう思ってしまうわたしは悪なのでは?という気持ちも少なからず存在していて。
素直に喜んでいいの?わたしは康二くんに会っていいの?と周りの目を窺う感じ。
ツイートしなければいい話なんだろうけど、こそこそ行くのも隠すのもなんだか嫌で、こうして気持ちの変動を綴ってみました。
所詮は綺麗事と自分本位な気持ちだけれど、ここに少しだけこぼさせてください・・・🥲
1年と2ヶ月弱。
康二くんに会えるはずだったあの日から、気付いたらこんなに経ってしまっていたんだなぁ、と思うと、やっぱり会いたいと思ってしまうのです・・