DON'T FORGET ‘93
93年を忘れるな。スターリ•モスト横の石碑にある言葉が目に入った。
92〜95年、モスタルという街はボスニア内戦の最中だった。それは旧ユーゴ紛争で一番泥沼化した内戦だった。
街はネレトヴァ川を挟んで、クロアチア側とボスニャク側(イスラム系)の対立になった。そこに掛けられていた橋がスターリ•モスト。オスマントルコ時代に建設された石造りの堅牢なスターリ•モストは、93年クロアチア側の砲撃により破壊された。
2004年に平和の象徴として、以前使われていた石材を川の底から掻き集め、復元された。それでも民族間の蟠りが消えることはなかった。
内戦から20年以上経過したモスタルを僕は訪れたのだけど、スターリ•モストはボスニア屈指の観光地なだけあって、旧市街は観光客で溢れており、一見活気があるように思えた。再建されたスターリ•モストは歴史ある街並みと調和しており、ネレトヴァ川は戦争なんてなかったかのように、穏やかに流れていた。石畳みが敷き詰められた通りには土産屋が立ち並び、煌びやかなイスラム風のランプが吊り下げられていた。アザーン(礼拝への呼びかけ)が流れ、ゆっくりとした時間を告げる。
だけど、バスターミナルにはお金を求めている子供たちがいて、橋の袂では必死に営業しているガイドに声を掛けられた。家族を支えたいからお金をくれないか、と僕の頑なな「No thanks」に屈した彼はダイレクトに希望を伝えてきた。泊まった宿の受付の女性は、モスタル出身で内戦中はモスタルを離れ、内戦後にやっと戻って来れたんだと身の上話をしてくれた。そんな人々と触れ合う度、かつて本当にここは戦場だったんだと思わされた。
人々の心の中から戦争の記憶も、民族が違うというだけで傷つけあった事実も消えることはないんだろう。石碑からもスターリ•モストからもその土地の人々からも戦争の残り香を感じた。