感受性の豊かさはどこで測れるのか?

感受性はどうやって豊かだと判断できるんだろう。そして一体どこで測れるんだろうか?

まず、感受性とは対象に対して高い反応度を持ち、敏感に反応する能力を指す。これは、感じ取る力とも言える。その対象や向けられる方向によって、5つに分類できると考える。

1. 自分や人の心の機敏を感じ取る力(共感力)
2. 何にでも感動できる力
(日常の些細な瞬間や芸術など)
3. 音や光、触覚などの感覚刺激への敏感さ
4. 周囲で起こった状況を読み取る力
(雰囲気や状況を敏感に察知)
5. 感じたことを深く掘る力
(なぜそう感じたのか、背景や意味などを考える力)

基本的には、起こっている現象や変化に対しての反応ということになる。この分類だと、5は少し異色に感じるかもしれないが、芸術鑑賞において単なる美しさだけでなく、その背景やメッセージを考えたり、生じた感情の動機や意味を掘り下げる内面的な探求は、感情理解力とも捉えることができるため、感受性と関連すると判断し、追加した。

すべての項目に当てはまる人は少ないかもしれないが、どんな人でもいずれか一つには該当するのではないだろうか。

そして、この5つの項目に当てはまるものが多い人ほど、感受性が豊かと言えるんだろうか。
例えば、僕はこの中だと5の「感じたことを深く掘る力」には当てはまるとは思うが、その他はよく分からない。音や光には敏感ではなく、むしろライブでの轟音が好きだし、どんな芸術でも感動できるわけではない。レゲエの魅力や詩の繊細さはよく分からない。でも好きな何かへの背景や意味を考えたり、なぜ自分がそう感じたかを考えることは好きだ。
感受性の幅広さは豊かさの一指標ではあるが、すべてを説明できるものではない気がする。深さや強さ、要するに感度も考慮する必要がある。感度はどうすれば分かるだろう。

ここで思いついたのは、自分が持つ感受性なら、他の人が持つ同じ感受性に気づきやすいのではないか、という点だ。同じ傾向を持つ人を判別しやすいはず。それは自分が感じ取れないものについては、人がどれだけ感じているのか想像がつきにくく、気付けないことが多いからだ。そんな視点もあったんだ、そこって感動ポイントだったんだ、そんなに情報を読み取れるんだ、となりやすい。対象に対しての感じ方に敏感である人ほど、その方向での想像を膨らませることができる、というわけだ。

だから、人の感受性にどれだけ気づけるかが、豊かさを測る鍵になるのではないだろうか。
また、これにより自分の感受性の方向も明確になる。先ほどの5つの項目でよく分からないと思っていた項目も、よく観察すると見えてくるものもあるかもしれない。
例えば、言葉がなくても表情やボディランゲージから相手の意図を察せる人を判別できる人は、1の「自分や人の心の機敏さを感じ取る力」が強いのかもしれない。コンサートや映画、展示会で他人が感動している表情や仕草をすぐに察知し、共感できる人は2の「何にでも感動できる力」が強いのかもしれない。会話中に他人が騒音に不快そうな顔をしたり、耳に手を当ててる様子をすぐに察知できる人は、3の「音や光、触覚などの感覚刺激への敏感さ」が強いのかもしれない。集まりの場で孤立している誰かを気遣える人の優しさに気づける人は、4の「周囲で起こった状況を読み取る力」が強いのかもしれない。他人の感情や状況に対して深く掘り下げるような質問やちょっとした文章から自己反省や自己認識の高さを感じ取ることが多い人は、5の「感じたことを深く掘る力」が強いかもしれない。どの感受性への意識が強いのかを観察すると、自分がどの感受性に重きを置いているかが分かる。その気づきの多さから、感度の高低は判断できるんじゃないだろうか。

感受性は診断テストでも自己認識を通して答える限りは、完全な客観性を持った測り方は不可能に近いので、主観の中でどうすれば客観に近づけるかという視点から考えてみた。
感受性が豊かなことは時に厄介なのかもしれないけど、自分の傾向を知っておくことは有益かもしれない。


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