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足骨日記33.1

なんか、二週間前くらいに記事を書いてみたけどさほど面白くもなく公開まで至らなかったので、今回は33.1回です。

僕が退院してから一ヶ月以上経つ。痛みも減ってるし歩行も安定してきた。お酒を飲みに行けるようにもなった。誰にも伝わらないけど自分からするとものすごい進歩。今は二週間に一回のリハビリで大したことはしてもらってないので自分でストレッチしたりしてね。という感じで治療中。

Podcastを一緒にやってる徳利さんのライブが佐賀であるのでライブDJをしに行くことになった。※ライブDJてのはラッパーの後ろでカラオケをかける人のことです。

前の日に酒を飲みすぎて出発が少し遅れたのでライブの時間の三十分前に会場入りした。
まず到着して思ったことは、思ってたより田舎だなだった。警備員に案内されて小高い丘に登って駐車場に車を停めると会場はその丘の下にあった。丘っていうより小さい山だった。嘘みたいな通路と階段が立ちはだかった。足の怪我をしてなくても躊躇してしまう傾斜の階段と雨でぬかるんだ泥の通路。
僕の背中には宇宙飛行士の船外活動の宇宙服についてるような巨大なバックパックに重たい機材がパンパン。時間をかけてゆっくりと歩く。
建物は元々分校があった場所で廃校になったあとは地区の公民館になりという歴史のようだ。
建物は古いが綺麗に手入れがされていて皆がこの建物を愛し大切にしていることが分かった。
中に張ってある写真を見ると昭和三十年代の生徒の集合写真だったので僕らが生まれる前には廃校になったんだろう。そんなに田舎住まいでもないけど昭和生まれとしてはどことなくノスタルジックな気分になる。

校庭には出店やスケートバンクが設置されていて山奥には不似合いなスケーターやその家族の奥さんや子供もいてみんなオシャレで可愛かった。子供も結構な腕前のスケーターだったりする。子供がバンズの靴を履いてるのもオシャレでかわいい。

準備をしてるとあっという間に徳利さんの出番の時間に。一息つく間もなくライブスタート。
早いもんで七年間もアーティスト活動をしているそうだ。もう三十も半ばにさしかかる僕らの年齢で飯も食えないのにアーティストをやれる人は少ない。大体は夢に見切りを付ける年齢だと思う。遅咲きの華はこの年齢でもまだ咲いていないらしい。まあ人の人生だし本人がよければ他人がとやかく言うのは無粋だと思うし、僕はできるだけのサポートをする。福岡や佐賀であれば駆けつける。いつも徳利さんは交通費と言って五千円くれる。悪いなと思いながらもらうが毎回少し手出しが出る。毎回何を楽しみにライブにいくのか自分で不思議に思う。
七年やってるだけあって今まで僕が見たライブの中では一番の出来だった。徳利のliveはお客さんがよく笑う。笑われてるのか笑わせてるのかはさておき、ライブDJをするとお客さんの笑顔がまともに見える。綺麗事に聞こえると思うがその笑顔を見るのが何よりも嬉しい。僕にはそれが一番のギャランティである。僕は音楽で食べていこうというプロ志向ではないのでお客さんの笑顔で十分だ。地元でDJするときにお客さんがいないとか、いても踊らせられなかったみたいな経験は山のようにある。それに比べれば、徳利を見に来て楽しそうにライブを見るお客さんを見るだけで、僕はとても幸せな気分になるんだ。

無事にライブを終えて校庭でリスナーの人や関係者の人に挨拶したり話したりすることもできた。主催者の一人でゲン君という青年とも話をして、ここは僕の地元なんすよと話してくれた。小さい頃はここで遊んだりしてて~と言う。ゲン君はさらっと言ったがものすごく感慨深いことだと思う。僕だったら自分の村の公民館でイベントをやるなんて思いついても実現は出来ないて思ってしまう。

リスナーの女の子からこの日記インフルエンザのときに読んで勇気もらいました!と言われた。嬉しかったけどそういうつもりで書いてなかったので恥ずかしいような気持ちになった。

一年ぶりのライブDJは総じて楽しくもありエモーショナルでもあり僕は多幸感に包まれた。

この数年、徳利さんのライブDJをする度に何で得もないのにやるんだろうとかたまに思ってた。高校からの友達の手助けと思ってたけど、こういう何物にも代えがたい感動を味わえるから僕は行くんだと気づいた。

このイベントに行っていいリハビリになったのか両足のふくらはぎが筋肉痛で張っている。

今まで呼んでくれたイベンターの方、楽しかったのでまた機会があったら呼んでください、九州のニクラジリスナーも遊びに来てくれてありがとうございました。

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D山
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