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他責か?自責か?とかどうでも良い。大事なのは〇〇〇〇
なんでも他責にする人って嫌ですよね。
じゃあなんでも自責で考えるべきか?というと、本当にそんなことをしたら鬱になります。笑
実は私も、「自責で考えろ」と言われ続け、
それが正しいと信じ込んでしまったために鬱寸前までいってしまいました。
でも断言します。「自責」で考えても誰1人として幸せになりません。
他責か?自責か?とかどうでも良い。結論
本当に大切なのは ”当事者意識”
最初に結論から入りますが、
大事なのは「自責」「他責」
・・・つまり犯人はだーれだ?という責任の所在を考えることではなく、
問題を自分毎、つまり当事者として考えた時に、最大限何が出来るか?という当事者意識が重要です。
それでは逆に、 "自責で考える" とどういうことが起こるか、考えていきましょう。
他責か?自責か?自責で考える場合のリスク
リスク① 病む
まず真っ先に考えられるリスクは、なんでもかんでも
自分が悪いんだ
自分のせいだ
と考えていたら、真面目な人だったら精神的に病みます。
真面目な人ほど精神的疾患に陥りやすい傾向にあると思いますが、こういう負のスパイラルに陥っちゃうんですよね。
私も根は真面目なので、人生で2回ほど精神的な病院にお世話になり、色んな方に助けられました。(この話は長くなるのでまたの機会に)
では "当事者意識" で考える場合、どういう考え方に変えれば良いのか?
自分のせいではないけど、自分にも何かできることはないかな?
このような感じで考えるだけで、精神的にも、その先の結果も180度変わります。
リスク② 他責者が生まれる
例えば上司に指示された通りに実行したのに怒られた。
そんなこともありますよね?そんな時に自責で対応してしまうと、どういうことが起こるでしょうか?として
本人:(言われた通りやったけど) 私のせいです、ごめんなさい
上司:何やってるんだ ← 他責
こういうことって色んな場面で当たり前のように起こってますよね。
更に厄介なのが、「本当は問題の発生源となっている人が気づかない」
つまり責任の所在が本当はある人が、自分に責任があることに気づかない。そんなことが当たり前のように起こっているということです。
言い方を変えるのであれば、
誰かが自責になることで、他責になる人を生むことになる
ということが言えます。
だからといって
本人:言われた通りやっただけだから、あなたのせいでしょ!
上司:・・・
これでは「言いなりロボット」と同じです。
私が100%悪い!と考える必要はありませんが、「言われた通りに行動しよう」と最終的に決めたのは私自身です。
どちらにも責任がある。というのが正しいですね。
リスク③ 何も解決しない
これが一番厄介です。
自責にしていても根本的な課題が解決されないケースが多いんですね。
例えば、キーマンとなっている部下が退職してしまったとして、その原因が「給与が安い」だったとしたら、
〇〇くんが会社を辞めるのは私のせいです。すいません
って言ってたって、根本的な
「会社の給与」「本人の希望する給与」
が合わない限り解決しないですよね。
他責か?自責か?では他責で考えれば良いの?
もちろんそういう訳ではありません。
他責で考えていたら嫌われますし、一切成長できません。
大事なのは「誰の責任か」という犯人捜しではなく、
全員で課題を解決することです。
他責か?自責か?ではなく、当事者意識で考えるということ
当事者意識で考えるというのはどういうことか?
超簡単です。
私が悪い
あなたが悪い
という、 人 に焦点を当てた考え方はやめて
この問題、課題をどう解決しよう
という、 問題や課題 に焦点を当て、自分事として解決策を考えるようにしましょう。
他責か?自責か?とかどうでも良い。大事なのは当事者意識 さいごに
おそらくこの記事を見ているかたは 根が真面目 な方なのかと思います。
もし上司や周りから「自責で考えろ」と言われても、「当事者として考えてみて」ってことか。と、脳内変換してみてください。