20.17:48 何で買ったんだマグカップ
朝と昼に食べ過ぎたので、夜は軽く済ませたい。
夕ご飯は軽くスムージーに決めた!
ということで、たった今スムージーを作って飲んだ。
結果は…
寒い。
寒すぎる。
せっかくレッグウォーマーまでして温め体が一気に冷えてしまった。
冷え性の上に、今日は寒暖差もあり夕方から冷え込んでいるのにも関わらず、私は何故スムージーを飲もうなどと考えてしまったのか。
それは、一応ダイエットをしている身だから。
一つの目標に夢中になると、他のことが疎かになる。
と言うより、他の大事なことが見えなくなることがありませんか。
私は、今まさにその状態です。
この季節の夕ご飯にスムージーは良くないと、身をもって理解しました。
温かいお茶を淹れてきました。
これで、体も温まるはず。
人の「好み」を知るのが好きだ。
洋服や本、ドラマ、映画から食器。
影響を受けやすいので、自分の好きな人達が好んでいる物はどうしても気になってしまう。
そして、つい真似して買ってしまうことがあるのだ。
大概そういった買い物は成功するのだが、たまに冷静になってくると「何で買ったんだ」と思うことも。
今、まさにその「何で買ったんだマグカップ」でお茶を飲んでいる。
可愛い猫の柄の、大きなマグカップ。
容量はまさに求めていたものだが、問題は柄だ。
私は決して猫派ではない。
(犬派でもないのだが。)
何とそのマグカップには、cat personの文字が。
何で買ったんだ…
いや、可愛いのだ。
可愛いのだが、私の持っている他の食器とは明らかにテイストが異なる。
いやいや、可愛いのだ。
分かっているけれど、どう考えても趣味じゃない。
いやいやいや、じゃあ何で買ったのだ。
一人問答が続く。
以前からこの傾向はあった。
今よりもずっと若かりし頃は、身近な自分の憧れの人の服装や髪形を真似していた時期があった。
一応、分からないように真似したつもりだったが、一緒に写った写真を見て、ぎょっとしたことを覚えている。
そっくりな恰好。
そして、明らかに自分の方が似合っていないのだ。
若気の至りで済ませたいが、今でも顔から火が出るほど恥ずかしい。
人を真似ることは恥ずかしいことじゃない、と自分に言い聞かせても、やっぱり身近な憧れの対象を完全にコピーしていた自分が、何とも言えず恥ずかしいのだ。
その理由は明らかだ。
それは、自分を知らな過ぎたこと。
憧れの人と自分は違う人間で、似合うものも違うのに、それが分かっていなかった。
自分自身が見えていなかったこと、それが恥ずかしいのだ。
今になってやっと気づくことが、まだまだ多い。
自分の体形や肌や髪、そして自分と言う人間に向き合って漸く見えてくるもの。
あれから随分時は経ったが、今も自分はこういうところがあるのか、と不意に気づくことがある。
自分を発見することは決して嫌なことじゃない。
過去の自分を思って、私のように恥ずかしくなることもあるかもしれないが、それよりも今からの自分がより素敵に生きることの方が重要だ。
と言っても、私はまだ人の影響を受けて、「何で買ったんだマグカップ」を手に入れてしまうような所がある。
これからは、自分の好みに合っているか、自分と言う人間に合っているかを吟味して購入しようと反省している最中です。