スラム街以下の単身の非正規女性
東京で独り身で暮らしている女性のリアルを描いた本です。
東京では独り身ではとても生活できないのでみな体を売りその現状が描かれています。
生きるのだけで精いっぱい。
もう生きる希望もない。
そのような言葉ばかりが書かれており大変な時代だなと感じ、本を読み終えようとしたときにあとがきの部分がものすごく気になりました。
著者が横浜で取材後にある貧困女性に
「実は近くに寿町があるんです。是非見てもらいたいです」
と言われ寿町に行くことに。
寿町とは日本三大スラムと言われる場所。
横浜スタジアムのすぐそばにあり、昼間から酔いつぶれている人がたくさんいる。
しかし彼らの表情は決して暗くはない。
住民のほとんどが生活保護者である。
寿町、西成、山谷の日本三大スラム街と呼ばれる地域は、昭和の時代から貧困の象徴とされてきた地域で「ドヤ街」と呼ばれる。
ドヤという呼称は宿から来ていてドヤの簡易宿泊所の料金は一泊2000前後。
自販機のジュースは50円~90円
飲食店はラーメン200円~300円
定食が300円~400円程度ととにかく物価も破格に安い。
飲食店の並びには老人デイサービスや病院もある。
住人たちは小さな寿町から出ることなく生活ができる仕組みが出来上がっていた。
寿町の住人は簡易宿泊所で好きなだけ眠り適当な時間に起きる。
町に出れば似たような境遇の知り合いや友達だらけでやることは何もないので昼間から酒盛りをする。
くだらない話をして騒ぎ、路上で酔いつぶれ一円パチンコをして勝てば行きつけのスナックに行ったりする。
寿町は飲食店でひそかに行われる違法賭博も盛んだという。
ずっと遊んで時間をつぶす生活である。
生活保護受給者は医療も介護も無料で仲間もたくさんいる。
借金などをしなければそれなりに安心して生活することができるのだ。
彼女がなぜ私を寿町に連れてきたのかわかった。
スラムと呼ばれる場所で生きる人々のほうが、現在膨大に存在する多くの貧困女性たちより、恵まれている環境で生きていて幸せだということだ。
寿町の生活保護受給者は最低生活費と住宅扶助を合わせて月14万円弱の収入がある。
ドヤの宿泊費は水道光熱費を合わせて一泊2000円程度なので月6万円。
残る月8万円で飲み食いしパチンコなどをして過ごしている。
一方単身の非正規女性になると時給1000円程度でフルで働いてようやく生活保護基準を少しだけ超える。
東京や神奈川は家賃が高いのでとても満足な生活ができない。
長時間労働となるダブルワークをしてようやくぎりぎりの生活。
寿町の住人のように遊べないし働きっぱなしで孤立し、誰も友達がいなかったりする。
「そういうことです。日本は女性を生活保護水準で働かせる制度設計をしている。私はたまたま抜け出すことができたけど、多くの一般女性たちはスラム以下の扱いなんです」
港湾労働者の町から始まった寿町は歴史がある。
外からは貧困者が暮らすスラム街として認識されている。
見える貧困なので社会保障だけでなく、外からの救援も集まりやすい。
商店は生活保護者に合わせた価格設定がされていて、一般社会より3~4割の価格であらゆるものが動いている。
スラム住民と非正規の単身女性を比較すると、実質家賃や可処分所得はスラム住民のほうがはるかに高い。
シングルマザーになったらもう雲泥の差になる。
町に溶け込んでしまえばもう本当に困ることはなさそうだ。
逆に寿町を出れば一般社会は見えない深刻な貧困だらけだ。
何度も書いてきたが国や行政に賃金を設定される自治体の非正規職や介護職は、必死に働いてもスラム街の住人たちの生活水準には届かない。
挙句に多くの介護職は「夢ややりがいがある」と洗脳されて、感謝をしながらスラム以下の生活を送っている。
何か異常な現実が着々と進行している、としか言いようがない。
寿町はまさに福祉の街で非常に合理的にセーフティネットが回っていた。格差が広がった日本の将来はこの町みたいな場所が一つの市や区くらいに拡大していくのかもしれない。
日本の未来かもしれない寿町を一周して、彼女は自宅へ帰っていった。
僕はつい最近まで東京に住んでおり、東京に満員電車に乗っている死んだ顔の人達を見ました。
今は大阪に住んでおり、日本三大スラムの西成にも何度も行ったことがあります。
西成の人達は昼間から酒を飲んで路上で騒いでいます。
その表情を見る限りこの本に書いてある通りとても楽しそうです。
そして東京に住んでいる満員電車の人達の表情、どちらが楽しそうかと言えば圧倒的に前者です。
それもある意味では東京の人達はスラム以下の生活をさせられているのかもしれません。
日本の一億総中流と言われる人達は日本三大スラム街のことをすべてにおいて下に見ているかもしれません。
幸福度、生活充実度など人によってはたくさんの指標があると思います。
でもその人達よりもしかするとそのすべてにおいて下回る現実が今後来るのかもしれません。
そのようなことを考えさせてくれる本でした。
是非読んでみてください。