フリーランス 前編
そういえば、今年から所属事務所も無所属のフリーになった。
元々、この世界に入ったのは高校卒業後に大阪のNSCという吉本興業の養成所に入った。
小学生の頃からTVが好きで、ボキャブラ天国、ごっつ、ガキ使を観て、中学生になる頃には、オンバトに魅了され、僕は高校を出たらNSCに入ると決めていた。
NSCとは、
ニュー・スター・クリエイションの略
1期生には、ダウンタウンさんやハイヒールさん、トミーズさん等がいる。
僕は大阪NSC28期
現役の同期は、
アインシュタイン稲ちゃん、すゑひろがりず、にほんしゅ、ヤーレンズ楢原、キュウ清水、森本大百科、ぶるぼん、ロングロング(元土佐駒)中山女子短期大学、がっき~、ニュークレープ(元ポラロイドマガジン)、パーフェクトダブルシュレッダー和田、祇園、ラフ次元など。
東京だと11期で、チョコレートプラネット、シソンヌ、パンサー向井など。
大阪NSCは当初500人くらい入学して、皆、スターを目指して15年ほど経った今、現役でやってるのは、僕が把握してるだけでは30人もいないと思う。
この世界はホントに誰がメジャーになるか解らないもんで、
ここ最近では昔から面白かった稲ちゃんやすゑひろがりずが、僕らの期では一番メジャーになったと思う。
メディアに引っ掛かる
俗に言う“売れた”ってやつ。
決してイケメンでも人気者でもなかった3人(笑)が実力でメジャーになって人気者になったのは嬉しかったし、そんなにやってること(センス的な事)が当時から変わってないことからこの世界でメジャーになるには、何かキッカケを掴む“運”も大事なんだと改めて知った。
やり続ける根気とブレない心技。
NSC時代、ABCというクラス分けが夏ごろからあり、講師の先生がネタの評価で振り分けられる。
途中でも、昇格や降格はあった。
A 5組
B 50組
C その他、数百組
みたいな感じだった。すゑひろがりずの二人は元々、別コンビでAクラスだった。
稲ちゃんも当時は今と別コンビでBの中でもAに近いBの人って、イメージだった。
僕は当時の相方にギャンブルを教えてもらいたまに授業に出るような悪い付き合いをしてたと今思う。(笑)
もちろんCクラスだった。
すゑひろがりずの二人は同期だけど、年齢が4つ歳上で、出会った頃の18歳の僕は、見た目も最初からオッサンで陽気で穏やかな良い大人の同期の印象だった、今やそのオッサンが、『すゑ様〜、すゑ様〜』と若い女子から呼ばれてるらしい(笑)
まさにあっぱれ!
ま、同期界隈の話はまたそのうち書くとして、そんな吉本の養成所から芸人人生をスタートして、一年後に養成所を卒業し、約8年ほど吉本の若手の劇場、当時は『baseよしもと』→『5UPよしもと』で活動したのち、退所し、フリーになり東京に行くことにした。
吉本の若手劇場はランクシステムがピラミッド式であり、
上からトップ組(約3組)、一軍(約15組)、二軍(10組)、三軍(10組)、以下毎月入れ替え戦をするオーディション組(300組以上)みたいな構図だった。
当時のトップ組や一軍~三軍メンバーで言うと、
base/笑い飯さん、麒麟さん、南海キャンディーズさん、ダイアンさん、スーパーマラドーナさん、ジャルジャルさん、銀シャリさんなどなど。
5UP/かまいたちさん、藤崎マーケットさん、天竺鼠さん、アキナさん、和牛さん、GAGさんなどなど。
皆、メジャーになった人やメジャーになりつつある人ばかりの中には、僕らと同じようにオーディションを受けたり、毎月インディーズライブに一緒に出ていた一年先輩で後のMー1王者ミルクボーイさんも劇場メンバーになったりなれなかったりしていた。
改めて、吉本という若手劇場ピラミッドシステムの強度はイカツイなと思う。
そして、吉本の中で若手のトップは、もちろん推されるし、メディアに引っ掛かり易いんだなと改めて思う。
芸人の多さは誰かが発見してくれてるという強み。
そして、メディアに出た場合、劇場で一緒にやっていた先輩達が説明書代わりのイジりやお決まりのフリをしてくれる。
売れてる大物芸人に説明されればされるほど、初見の若手芸人に対して、安心感と説得力が増す。
ここがお笑い王国吉本の強さ。
その王国で8年やってみたけど、2分ネタを毎月やって、三軍メンバーとの入れ替え戦をやって、ギリギリでメンバーになれなかった。
王国内の若手ばかりの島国にギリギリで入国審査が通らなかった。
一応、所属はさせてもらったのだが、契約書も交わしてない(笑)
劇場メンバーになったら何となく、王国に一歩認めてもらった感覚になっていた。
劇場メンバーにはなれなかったが、三軍メンバーとのバトルネタライブで関係者の目に引っ掛かりいくつかの劇場でのライブ出演やテレビのネタ番組のオーディションや吉本の営業的な仕事を頂いた。
確か初めてのオーディションは、『爆笑レッドカーペット』のオーディションで当時二軍メンバーだったジャルジャルさんが1つ前のネタ見せで、ジャルジャルさんの大きい長机と椅子を運ぶのを手伝ったのが印象に残っている。
吉本は劇場で多少の結果を出さないとオーディションは頂けない。
ネタのみで評価される超実力主義王国
約8年在籍したけど、オーディションに関しては、全部で50個も受けてないと思う。
どのオーディションも通らず、TV、ラジオなどの番組、メディア出演はゼロ。
劇場のオーディションもなかなか勝ち進めず、一撃必殺下剋上ドリームの賞レースも今ひとつの結果で、どんどん芸歴だけが重なっていく。
現在・お笑い第7世代と言われる、その筆頭でもある5年後輩の粗品やコロコロチキチキペッパーズにバトルライブで負けたりしていた。
そんな時、劇場がリニューアルすると言うことで、芸歴が長い芸人(10年前後)は劇場を卒業になる話が上がった。
噂では、27期まで(僕らの1年上)までが卒業で僕らの期が劇場の主軸になる話が上がった。
2013年、年末、NGK(なんばグランド花月)で若手芸人を集めて説明会があった。
僕はソワソワドキドキして、期待と不安を持ちながら会場に向かった。
NGK(なんばグランド花月)での説明会では、僕ら28期までが卒業と発表された。
しかも、『5UPよしもと』から、『よしもと漫才劇場』に名称も変わり、漫才中心の劇場になることが決まった。
僕たちはコントばかりしていたので、完全に目先が真っ暗になった。
何れにしろコントをする場が無くなったようなモノだと。
憧れていた吉本での活動でメジャーになることの苦境。
もう、ここじゃ無理かもな。
そこで7、8年目。
それまで解散と引退は何度も乗り越えてきたが、環境が完全に変わる現状での選択肢は、僕の中で、
辞めるか、東京に行くかの2択になった。
当時27歳。熊本から出て来て8年が経とうとしていた。
劇場オーディションでの結果は奮ってなかったが、他の場でのウケはあるし、周りの面白いと思う先輩方からの評価は有り難い事に悪くはなかった。
まだ見ぬ、可能性を試しに
東京に行くことを選んだ。
2014年、東京へ。
そこから1年程フリーになり2015年にオフィス北野(現TAP)に所属することになる。
後編へ続く