【掌編小説】狐琴回廊 (こきんかいろう)
御座敷にあがるまでには半刻ほどあった。
ほんの少しと、うたた寝に浸った。
目を覚ますと、一匹の子狐が立っていた。
身の丈は三寸五分位だろうか。
身体は白く、目は開いているのかどうかわからないほどで、赤いちゃんちゃんこが、やけに目にとまった。
「道に迷ったのかい?」
子狐はそれには答えず、ただ微笑んでいた。
御座敷の時間なので、子狐に帰るよう伝えて部屋を出た。
御座敷から戻ると、子狐はいなくなっていたが、一枚の四角い鏡が置いてあった。
普段、化粧に使うものと違い、見たことがなかった。
それから子狐は毎晩、現れては何も言わずに姿を消した。
十日ほど経った新月の晩、子狐は再び廊下に現れ、手招きをした。
相変わらず子狐は何も言わなかったが、その視線から例の鏡が必要なことはわかった。
子狐について廊下に出ると、中庭の金木犀の淡い香りが漂ってきた。
子狐は五歩ほど進んだ処で振り返り、私が居る事を確認しているようだった。
そしてまた、五歩進んでは振り返り、それを繰り返して廊下を静かに進んだ。
曲がり角に差し掛かると、懐からもう一枚の鏡を出し、廊下の柱に立てかけ振り返る。
すると、いつの間にか、手に持っていた布を差し出した。
布には下手くそな合わせ鏡の絵が描いてあって、そういうことかと納得した。
たて掛けた鏡には、今来た廊下が映っていて、それを映すように持ってきた鏡を合わせると、なんとその向こうに廊下が現れた。
子狐は身軽に現れた廊下に移ると小走りに数歩進み、振り向いた。
「着いてきて」
子狐が突然、声を出した。
その事に驚きながらも、子狐を真似て新しい廊下へと渡った。
「何処へ連れて行くんだい?」
「王様の処へ」
「王様?」
「君達の世界では殿様と言ったかな」
「お殿様が私に何用なのです?」
「会えばわかるよ」
子狐はそう言うと、また歩き出した。
廊下の角を曲がると、その先には煌びやかな回廊が伸びていて、知らず知らずに胸が高鳴るのに気づいた。
回廊を四半刻ほど進むと赤い鳥居と門が見えてきた。
子狐は門の前にしゃがみ、大声で叫んだ。
すると門が開き、そこには黄金で出来た大きなお城が見えた。
子狐に続いて門をくぐると、今度は黒い鎧を着た門番が迎えてくれる。
門番の案内で、百日紅が降ってくるように茂った庭を通って城へと入る。
らせん状に続く暗い石造りの廊下を進む。
すると、天井の高い、赤い布を敷いた部屋へと出た。
その部屋にはたくさんの狐たちが集まっていて正面の階段みつめている。
すると、どこからともなく太鼓の音が聞こえてくる。
ドン、ドン、ドン、ドン、ドドドドド、ドドン!
という音とともに、階段の奥の扉から、王様と呼ばれる大狐が現れた。
「私は何故、ここに呼ばれたのでしょう?」
王様は煙管(キセル)のようなものを口から離し、ゆっくりと煙をくゆらせた。
「実は、御主に頼みがある」
私が首を傾げると、先ほどの煙管(キセル)のようなものから灰を落とし、私に差し出した。
「これは煙草という、南蛮の物じゃ」
確かに、王様は着ている着物も、頭に乗せた小さな兜も、それにはめ込まれた宝石も見たことのないものばかりだった。
「わしには南蛮の品で、気に入ったものがある」
王様はそう言うと、部屋の隅を指差して続けた。 「これはピアノという楽器じゃ」
それは白と黒のべっ甲のようなものが並んだ黒い箱だった。
「洋琴とも言われておる。御主は琴が弾けるのであろう?」
「はい、琴は弾けますが、そのような品は見たこともありません」
「試しに弾いてはもらえぬか?」
「しかし、どのようにしていいものか?」
すると、王様は家来に耳打ちをしたかと思うと、奥の部屋から牝の狐が現れ、ピアノと言われる楽器を鳴らし始めた。
「王様、その狐様が弾けるのでしたら私でなくともいいではありませんか」
王様は少し、困った顔をしたかと思うと、牝の狐に続きを弾くように伝えた。
すると、牝の狐の弾く音は、所々で音を外し、最後には途中で演奏を止めてしまった。
「どうやら我々、狐では指が短くて、完璧な演奏が出来ないのだ。」
王様は私を一瞥して続ける。
「その細く美しい指の、御主なら弾けるだろうと思うのだが・・・」
「そうまで言ってくださるなら、弾いてみましょう。でも、お唄がないと弾けませぬ、その女子の狐様に唄っていただけるとありがたいのですが」
それを聞いた牝の狐はピアノの隣に立ち、鈴を鳴らしたような、それは美しい声で唄い始めた。
私がそれに合わせて白と黒の板を叩き始めると、王様も、家来も、私を連れてきた子狐も大変喜び、唄えや踊れやの大騒ぎ。
一刻ほど、たったでしょうか?
王様は、褒美だと言って、綺麗な藍色の蝶が舞う着物と、見たこともない形の櫛を手渡すと、お城ごと消えてしまいました。
我に返り、辺りを見回すと、元居た部屋の中。
夢だったのだと思い、廊下を見ると、そこには子狐が置いていった鏡が置かれていた。
「狐のみなさん、新月の夜にまた会いましょう。あの回廊を渡ってまいりますから」
そう、夜空に叫ぶと、何処かで子狐さんの鳴く声が聴こえたような気がした。