キングオブコントのゾフィーのネタをみて思い出したこと。
だいすけわたなべです。
キングオブコントのゾフィーのネタが
お母さんをバカにしていると炎上して
話題になってましたが
一連の流れを見てあることを思い出しました。
ちなみにボクも観ていて
あまりいい気分ではなく
ちょっとこわかったです。
思い出したのは
小学生の時のこと。
毎朝、日直の2人が
書いて来た日記を黒板に書き
(みんなより少しはやく登校する)
朝の会でみんなの前で日記を読みあげ
先生が感想を言ってハナマルをつける。
そのハナマルのグルグルの数と
いかに教室のみんなが笑うかを
密かにみんな競い合っていたし
ボクもほかの人の日記がウケると
くやしかった。
そんなボクに何回目かの日直が
まわってきた。
前日にスーパーでたまたま会った
同じクラスのほっちゃんのことを書いた。
ほっちゃんとはよく遊んでたし
とても仲が良かった。
でもボクはみんなの笑いがほしくて
ほっちゃんをバカにするような内容の
日記を書いた。
ほっちゃんはデブだからスーパーで
お菓子のコーナーをうろうろしてました。
とかそんな感じのとても稚拙な内容の。
ほっちゃんは優しいから怒らないだろうし
笑って許してくれるだろうとおもった。
日記を読んだ。
ほっちゃんは笑っていた。
みんなも笑っていた。
ウケた!
よっしゃー!と心の中でガッツポーズ。
先生の感想を待つ。
先生、無言。
クラスがその空気を感じて静かになる。
チョークを持った先生が黒板に近づく。
ボクの日記につけられたのは
ハナマルではなく
バツだった。
大きなバッテン印がそこにあった。
はじめてだった。
ハナマルの数が少ないことはあっても
バツをつけられた生徒は
ボクがはじめてだった。
そのあと先生がなにか言ったけど
頭がボーッとしていたのでおぼえていない。
クラスがとても不思議な雰囲気に
包まれていて居心地がわるかった。
最低のことをしたんだな。
それだけはわかった。
たしか、ほっちゃんと先生に
謝ったとおもう。
でもふたりともそれを真正面からは
受け入れてくれなかった気がする。
ボクはそれをひとりでしばらく抱え込んだ。
そして考え込んだ。
たどり着いたのは
とてもシンプルなこと。
人をバカにして笑いを取るのはバツ。
みんなを笑わせたくても
友達をバカにするようなことは
決してしないと心に誓った。
バツをつけてくれた先生には
いまでもとても感謝している。
でも、テレビをつければ
誰かが誰かをバカにして
それを誰かが笑っている。
誰かが誰がを叩いて
それを誰かが笑っている。
ボクも笑っている。
なにが正しいのか
わからなくなるけど
そんな時にボクは
先生につけられたバツを思い出すようにした。
誰も傷つけない笑いなんて
滅多にあるものではないと思う。
どんな小さな発言ですら
もしかしたらどこかでだれかを
傷つけるかもしれない。
それはSNSやラジオでも
もちろん意識はして気をつけている。
ゾフィーのネタは
なにかそんなにたくさんの人を
不快にしたのだろうか。
誰かをバカにしたから?
お母さんを「飯」と呼んで
世の中の母親たちをバカにしたから?
それだけではないような気がする。
まず、母親があの場面にいないこと。
いないところで息子に「飯」呼ばわり
されていること。
そして、そんな息子に対して
なにも言わない父親。
これが原因だとボクはおもう。
「もしかして母さん出てったの、おまえが原因なんじゃないのか?」
という父親のセリフがすべてを
物語っているとおもう。
まるで傍観者。
一番なにか言わなければいけない父親が
まるで傍観者なのだ。
あそこでなにかしらの一言があったら
世の中の反応は違ったかもしれない。
わかんないけどね。
もちろん表現は自由だし
それぞれのスタイルがあって
それを評価する人には
それぞれの価値観や基準があって
当然だとおもう。
誰も傷つけずに
みんなを幸せにするような
笑いがこんな世の中には必要なのかなと
にゃんこスターをみながらおもった。