おばさん、LAでスケボーに出会う。(前編)
現在、日本からニューヨークに移住して6年。もともと俳優をする予定だったが思ったより大変そうだったので、なぜかモデルの仕事をしている。服に全く興味なく、かっこつけることが死ぬほど恥ずかしいが、「身長が高いしやるか」というノリだけでとりあえずやっている感じである。SNSの投稿は面倒くさく、毎日ジム着でNYをウロウロし、ラーメンは2週間に1回食べる。向上心はゼロである。冨永愛さんの爪の垢でも煎じて飲みたい。
モデルというのはいろんな場所にエージェンシーを持つのが通例らしい。
売れっ子になるとニューヨーク、パリ、ロンドン、ミラノ、東京、などの主要都市にそれぞれ一つずつ事務所を構え、現地で仕事があるたびに世界を飛び回る、というなんとも煌びやかで華やかなライフスタイルになる。異国の文化に触れる様子をインスタにあげて、フォロワーにマウントをとるのも気持ちがよさそうだ。
私はというと生活圏内でノコノコと暮らしたい。旅などしたくない。毎日同じものを食べて猫を飼いたい。湯豆腐とゆず胡椒が私のご馳走。もやしも加われば星3つ。早く老後が来てほしい。健やかに老いて死ぬのが私の夢。本当に向上心がゼロなのである。
そんな私でも、現在住んでいるNYの事務所とは別にロサンゼルスにも1つ、合計2つの事務所に所属している。それぞれアメリカの両端に位置し、フライトは6時間かかる。空港でのチェックインや移動を考えると合計8時間ほどかかる。ノコノコ生活したい私からしたら最悪である。しかしノコノコするのにもお金がかかる。ノコノコ生活するために私は8時間かけてアメリカ大陸を横断する。死ぬ気でノコノコと生きていたい。この生活はなんとしてでも守りたい。ある意味向上心はあるのかもしれない。
そんなこんなで私がLAに行く際、せっかくなのでまるっと1ヶ月滞在することがある。そうすれば、その期間に現地でオーディションに行けたり、突然の仕事に参加できたりと、仕事の幅が広がるのだ。
しかし問題がある。LAは広い。そして車社会。そして私は運転しない。しない、というかできない。というかしたくない。
私は失敗から学ぶタイプなのに、一回でもミスしたらアウト、みたいな世界線が恐ろしすぎる。イカゲームとなんら変わらない。
私が社会人になって以来、東京、ニューヨークという大都市を選んで住んでいるのは運転しなくて済むからだ。運転を避けて生きてきたツケがここで回ってきた。人生とはいじわるである。
UberもあるがLAはとんでもなく広く、移動距離もとんでもなく長いので料金が高い。移動の度に使用していたら、間違いなく破産する。お金を稼ぐために破産するなど、意味がわからない。絶対使いたくない。
バスがなんとなく気持ち程度に走ってはいるが、これも時間通りになど来ずポンコツである。というか遅れて来るだけならまだしも、そもそも来ない。LAではそれが通常運行らしい。
1分遅れただけでも謝罪する日本の新幹線がおかしいのか、もはや現れもしないLAのバスがおかしいのか、私にはもうよくわからない。世界は広い。
そしてさらなる問題は、バス停からオーディション会場までも遠いのだ。LAの炎天下の中を平均で30分くらい歩かざるを得なくなる。オーディション前に歩く距離ではない。
他のモデルたちがコーヒー片手に西海岸の香りをまとい車で颯爽と現れる中、私は汗でベタつきほんのり臭く、疲労困ぱい、5歳ほど年老いて会場入りする。すでに私に輝きは無い。不戦負である。私でも私は選ばない。
今更ながら脳裏に嫌な予感がよぎった。
———もしかしてLAは歩けない?
NY在住の私からすると、電車、バスが動かないときは「最悪歩く」というパワープレイが常にオプションにあった。都会では全てのものが一局に集中しているからだ。どうやらLAではそのメソッドが通用しないようである。全然好きじゃない。早くNYでノコノコしたい。
しかし私は車もない中、ここLAで1ヶ月過ごさなきゃいけない。もう宿代も飛行機代も払った。背に腹は変えられない。
とりあえず暇なのでベニスビーチに向かう。ずっと行ってみたかった有名なビーチだ。
人でごった返し、ヒッピーな感じでとても賑やかだ。ビーチ全体を陽気な音楽が包み込み、LAの日差しと観光客の笑顔が眩しい。
そこでもひたすら歩く。海岸線がこれもまた長い。歩いても歩いても進んでる気がしない。さらに気温の高さに加えて紫外線の強さったらない。皮膚が焼けるようだ。きっと地獄に行ったらこういう感じなんだろう、と来るかもしれない未来に想いを馳せる。良い予行練習かもしれない。
影で休みたいが大量に生えてるヤシの木は盛大に禿げ散らかし、影など作れやしない。場所だけとって本当に邪魔である。
———皆どうやって移動してるの…?
周りを見渡すと自転車、スクーター、ローラースケート、スケボーなどでスイスイ移動している人々が割と多く見受けられる。自転車やスクーターが1番馬力もあり速度も出るが、持ち運びには不便なのが惜しい。ローラースケートもありだがなんだか恥ずかしい。光GENJIには責任をとってほしい。
とにかく暑い。こんな灼熱の中、歩いてなんかいられない。こんな思い、地獄に実際行ってからで十分である。
とりあえず私には車輪が必要だ。
———車輪。
小学校時代、なぜか一輪車の後ろ漕ぎで校庭を一周、完走したことを突然思い出す。鍛え上げたこのバランス感覚を全校生徒に見せびらかしたかった。後ろ向きで通り過ぎる同級生たちの視線が感嘆かドン引きだったのか今でもわからない。
そして現在、私ももう30代。車輪は最低2つは欲しい。一輪車は無しである。歩いた方がきっと早い。
そこでふと、ビーチ沿いにたくさんスケボー屋さんがあることに気づく。
スケボーならローラースケートより安定して移動でき、持ち運びにも良さそうだ。
一生私には無縁だと思っていた。スケボー屋さん。大音量のレゲエとマリファナの匂いが店先で私を出迎える。どきどきしながら足を踏み入れると、西海岸っぽいデザインが施された無数のスケボーたちが店内を埋め尽くす。店主もロン毛で日焼けしたザ・カリフォルニアみたいなお兄ちゃんだ。マリファナを燻らせながら、ソファーに腰掛け「Hey, what’s going on, man?」と気だるく私を出迎える。絶対高島屋では見られない接客スタイルである。
自分の鼓動が高鳴るのがわかった。
場違いすぎる———。
私は本当にかっこいいものが苦手なのだ。モデルの撮影でバッグを渡され「ほらっ、いつも持ってるみたいに持ってみて」と言われれば大体おばさん持ちするし、友達の悩みを聞けば大体おばさんみたいなリアクションをするし、要するに私はただのおばさんなのである。
昔から同級生より彼らのお母さんたちと仲良くなることが多かった。「まぁ、喬之君はイケメンねぇ」と言われるとものすごく居心地が悪かった。なぜなら私もおばさんなのだから。
店内には若い男女が店主と会話しながら様々なスケボーを試し乗りをしている。肌の焼け具合から、彼らもきっとカリフォルニア出身だろう。会話も弾んでるようで、時折り見せる笑顔からは希望しか感じられない。アメリカの未来に幸あれだ。
私はというと「あら、これは派手な色だねぇ」などとボヤきながらお惣菜コーナーを物色してるおばさんの様に後ろに手を回し、店内を静かに徘徊する。小さい頃、母の付き添いで行った近所のスーパーを思い出す。さっさと帰りたい私をよそに、お惣菜の値段と品質をじっくり吟味していた母の後ろ姿が今の自分と重なる。母は元気だろうか。
正直に言うと、ここにいるのがものすごく恥ずかしい。スケボーを買いに来ただなんて思われたくない、とスケボー屋さんの店内で赤面する。
私は、私を安全に運んでくれる乗り物が必要なだけだ。それがたまたまスケボーの形をしているだけであって、信じてくれ、カッコよさなんて微塵も求めていない。私が用があるのは、その板についてる車輪だけなんだ、などと、聞かれてもいないことを店主に必死に釈明する。エッチなお店に入って、「ああ、今日は友達へのプレゼント用に買い物に来てるだけなんですよ」というスタンスを貫いた時と似ている。
店主は「ああ、OK」とどうでも良さそうに返事をする。わかる、私は非常に面倒くさい。
スケボーなんて欲しくないけど利便性の観点から渋々買ってるだけなんだからね、という謎のスタンスを貫き、私は無事に人生で初めてのスケボーを手に入れた。デザインは無し、4つの車輪にただの木の板がくっついているだけの必要最低限なタイプ。お惣菜の量り売りをしてもらって今日必要な分だけ購入できた気分だ。良い買い物ができて大満足である。母の気持ちが今わかった。
LAとスケボーと私の夏が、いま、始まる。