おばさん、LAでスケボーに乗る(後編)

見た目はモデル、心はおばさん。そんな私がスケボーデビューする時が来た。
ここベニスビーチではスケボーがカルチャーとして根付よく人気を誇っている。そこかしこでスケボーに乗ったまま人間が回転したり、ひっくり返ったり、空を飛んだりと、腕利きたちがこぞってスキルを競い合っており、彼らを目の当たりにして思わず「おぉー」と声が出る。魚が海面から飛んだり跳ねたりしているのを眺めている感覚と近いかもしれない。
玄人レベルになると階段を降りるだけでなく、なんと”登る”こともできるようだ。彼らはスケボーを巧みに操り「ふんっ、ふんっ」と全身で弾みをつけて一段ずつ上がっている。重力に逆らってそんなことできるのなんてシャケしか知らない。シャケは「自分の生まれた川で産卵したい」という帰巣本能があるらしいのでまだわかる。命懸けの滝登りだ。頑張ってほしい。だがことスケボーの階段登りに関してはちょっと意味がわからない。足があるのにわざわざスケボーで段差を上がろうとするなんて、スケボーでこの階段を上がらなきゃお前は元の世界へ戻れないよ、くらいの湯婆婆並みの理不尽な試練でもない限り私は絶対やりたくない。それくらいの危機感の中でも私は途中で挫折してスケボーに姿を変えられ、父も母もスケボーになった姿から救えず、家族仲良くあのスケボー屋さんで売られるであろう。しょうがない、私のガッツなんてそんなものである。

そんな猛者どもが集うここベニスビーチで、スケボーに触ったこともなかった私の1人スケボー合宿が始まった。コーチはYoutube。現代のテクノロジーは本当にありがたい。一昔前だったらYoutubeなど存在せず、直接このビーチで誰かに話しかけ、教えを乞わなければいけなかったはずで、そんな大胆なこと私には絶対できない。スケボーをやる人々は雰囲気で言うと窪塚洋介みたいなタイプが多い気がする。喋り方は少し気だるく、かっこよくておしゃれで少し不良で、まあ要するに窪塚洋介である。
私はというと、俳優時代に1番やりたかった役は大奥の女中。1番言いたかったセリフは「上様、なりませぬ」。中身は本当にただの変態おばさんで、そんなおばさんの私が窪塚ぶって今からスケボーの練習をするのだ。恥ずかしくて死にそうである。しかしここベニスビーチには海外産の窪塚洋介で溢れており、隙あらば「Hey, what’s going on, man?」と陽気にハイタッチ、グータッチ、ハグなどのアメリカ式の接触型挨拶で私を追い込んでくるので、私は丁寧にそれらをお辞儀で回避していく羽目になる。ハイタッチに対してお辞儀で返すとか自分でも意味がわからない。頼むから本当に誰も私に近づかないでほしい。気を緩めると私の中のおばさんが顔を出してしまう。うんちを耐えてる感覚と近いかもしれない。スケボーなんてさっさと手放しておばさんに戻りたい、しかしこの車輪が私のLA滞在では必要なのだ。ここで確実に習得しなければならない。私は心を鬼にしてスケボーに足をかける。

そこから毎朝ベニスビーチに通う日々が始まった。
初めは当然板の上に乗ることすらできない。小学生の頃に一輪車で培ったバランス感覚がすでに20年前の代物であることに気づく。太ももが、股関節が、そして心までもが悲鳴をあげているのを感じた。少し乗れるようになっても、遠くへは進めない。すぐにバランスを崩してスケボーが前か後ろにスコーーーンと飛んでいってしまう。一度、ビーチ沿いの出店にスケボーが突っ込んでいって危うく商品を破壊しそうになったこともあった。アメリカは訴訟大国。これが原因で訴えられたら笑いどころじゃない。「ひっ、すみませんっ…」と平謝りしながら駆け寄ったところ、店主は全く気にする素振りを見せず「ハハハ、お前下手くそだなぁ」と笑いながら一緒に私の粗相を片付けてくれた。その優しさはカリフォルニアの太陽がそうさせるのか、国民性なのか、元々の人柄なのか、はたまた彼が吸ってたマリファナなのか、私にはわからないがその懐の大きさに感謝してまたスケボーを軌道に戻した。

朝から晩までひたすら練習に励み、1週間経つ頃には肌はカラッとカリフォルニア焼きに仕上がり、中距離移動くらいはこなせるようになってきた。こんなに何かに没頭したのは久しぶりである。当初は板の上で直立不動、水平移動しかできなかった私が今ではサーファーよろしく、体全体でバイブスを感じながら調子に乗り始める。なんだこれは、ただの移動の手段のために始めたスケボーにだんだんと心を掴まれ始め出している。歌詞をよく覚えていない洋楽を口ずさみながら板の上で小踊りし、ニヤニヤしながら「Hey, what’s good man?」とすれ違う赤の他人に絡み出す。降り注ぐカリフォルニアの日差しを口一杯に頬張り、潮風を味方にして私のスケボーは進む。どこまでも。この世界はみんな友だち。平和最高。さぁハイタッチをさせてくれ。アイキャンフライ———。

間違いない。確実に窪塚洋介化が進んでいる。こんなに楽しそうに心を解放している自分を見たことがない。学生時代はひたすら勉強、部活に打ち込み、座右の銘は「文武両道」「一生懸命」。1番の友達は先生。実績と信頼の男。生活指導に引っかかったことなどあるわけない。これまでの人生「楽しさ」と言うものを追求したことなどなかった私が、日本から遠く離れたカリフォルニアの空の下で気づく。窪塚洋介であるのはとても楽しい。今までなんとつまらない生き方をしていたのか。空を飛びたくなる気持ちも今ならすごくわかる。

そんなわけで残りのLA滞在は、オーディションもジムも買い物も、全ての用事をスケボーでこなせるようになりとても快適になった。長距離移動も方向転換ももうお手のものだと調子に乗ってきた矢先、スケボーを止めざるを得ない事態に直面する。目の前に階段があったのである。なんてことない、足で登ろう。そう思いスケボーを降りるが、一歩が踏み出せない。なんでだ、ただの階段じゃないか。いや、違う。そこにあるのは階段なんかじゃない、よく見ろ———それは「挑戦」だった。
”早くベニスビーチに戻って練習したいっ…”と、私にも帰巣本能が宿った瞬間である。

そしてあっという間にLA滞在は終了し、私はNYへ舞い戻った。不安を抱えながらLAへ旅立った、あの日の自分が懐かしくて愛おしい。
マンハッタンへ向かう電車に乗り込み、静かに家路に着く。時刻はもう夜10時を回っている。心地よい揺れに身を任せながら他の乗客たちを眺めていると、見える景色が1ヶ月前とは異なっていることに気が付く。
この世界には2通りの人間しか存在しないのだ。スケボーに乗る者か、乗らざる者か。なんて世界は残酷なんだろう、とまどろみの中で私はさらにスケボーを強く抱き寄せた———。

が、私とスケボーの関係性は1週間もしないうちに悪化することとなる。
前半でも述べたが、NYは公共交通機関が完備され、歩ける街だ。わざわざスケボーに乗る必要などなく、真のスケボー愛好家しか乗っていない。
私はというと、結局必要性があったから乗ってただけで、必要がないならこんな重くて汚いもの持ち運びたくなどない。スケボーで得られてた爽快感は、ジムに行った後、酒でも飲んでりゃ似た様な気持ちになる。それで十分だ。所詮私など効率性だけを求めるつまらない変態おばさんである。窪塚洋介は養殖できないから特別なのだ。
スマホの検索歴に「スケボー 売る NY」という文字だけが残り、私とスケボーの一夏が終わりを告げた。


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