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 これからの時代を駆け抜けるヒントは、映画虹ヶ咲スクールアイドル同好会を見れば気づくというお話

 僕は今回虹ヶ咲の映画を見て、タイミングがいい時にこの映画が出てきたなと思いましたし、このタイミングだからこそこの映画がこの時代に存在したのだと思います。
 
 まずは、虹ヶ咲のコンセプトのひとつに・・・

 ライバルだけど仲間又は、仲間だけどライバル

 というコンセプトがありますが、このラブライブのコンテンツで虹ヶ咲というコンセプトが出てきた時には、中々気づかないと思いますが、これからの大胆に変化する時代を先取りしたコンセプトだったと思います。

 この映画の中で、一人一人が一番を目指して競い合うのですが、キャラの一人一人が悩んだり頑張ったりしている中で、登場人物一人一人が自分の答えを見つけていくのがいいなと思うのです。ライバルの気持ちも考えて・・とか競いあっても結果がどうであれ自分が自分であればいい・・・お互いに高めあってさらに未知の領域に行きたい・・・色々な自分の中の答えを見つけていく過程は、今からの時代には大切だと僕は思うのです。

 僕には、ライバルだけど仲間というキーワードがこれからの変わっていく時代に必要だと思うのは、僕が見て来た今までの世界は、自分のほかはライバルであって、ほかの人(同じ業界の人達を含む)は敵だという感じの人達があまりにも多かったですし、そういう事も聞いてきました。僕は昔からこの自分(家族や会社やコミュニティ等)以外は敵という感覚の人達に違和感があったのです。特に同じ業界の人達をある意味敵視している(当の本人達は敵視しているとは思っていない)のを見てきました。僕はそういう事を聞いたり見たりした時に、確かにライバルだけど、同じ業界のある意味の同志なのだから、その業界を発展させて繁栄させるために手を取りあえる所は協力していけば、最終的に自分にも利があるだろうに・・・と感じてきましたが、僕はこの映画を見てライバルであり仲間だというコンセプトは大切だと思うのです。
 あと仲間だけでもそのコミュニティを維持するのは難しいとも思うのです。よく趣味の界隈で起こる事ですが、大人なら結果的に飲み会になってしまいそこから発展していかない関係になり、やがて疎遠になっていくのを見てきました。つまり、趣味の世界であってもお互いに高めあったり、同じ趣味の界隈であっても、別の場所を見てみると新たな発見があってますます自分を高めれると思います。仲間だけでもそのコミュニティが難しいと思うのは、そのレベルで止まってしまうと、結果的にレベルが下がっていくという事に気づいていない事が多いのではないかと僕は感じています。

 あと今回の映画は、人間関係においてお互いにすれ違いがあったり、お互いに向き合う事で、分かり合う場面が出てきましたが、これは、一番向かいあう必要がある、自分という存在との関係を表していたと思います。
 
 相手に自分の気持ちを言えない事・・・は、自分にたいして自分は素直に感じたり、お話したり、行動したりしているか?自分に素直になる事が次のドアを開けるキーワードになるという事をあらわしていましたし、自分自身に言葉が足りない事や早とちりで自分を追い詰めてしまう事を避ける必要のでよく自分をよく見てみる事や、自分にたいする信頼感が低いが他の人から見ると自分の評価が意外と高い事を知らない事もあるのを知れた映画ではないかと思います。僕自身も実際に言われたのは、自分はリフトの運転はそれほどうまくないと思っていましたが、ドライバーと話ていたら、あんたリフトの運転上手いねと言われた事もありました。僕はその時は自分がリフトの運転が上手いとは思っていませんでしたが、他人は上手いと見えるつまり、高い評価をしてもらっている事に気づいた時に、なるほど自分は自分が考えているよりも他人からは、評価をしてもらっているし、社会に貢献をしているのだと感じた時に自分は十分に価値のある存在なんだとも今は感じています。

 映画虹ヶ咲スクールアイドル同好会というファン以外は見ない映画でしょう・・・でも、今からの時代に必要な事を知りたいのなら映画館にいってお金を払って見る価値のある映画だと僕は思います。

 読んでいただきありがとうございます。

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