日本について、外国人の僕の考え
久しぶりですね(笑)。今日、暇すぎで、ゆっくりコーヒーを楽しんで、何か書きたいなと思って、先週に終わった自分の「日本の旅」というブログをすることにした。自分の第三番のブログですが、日本語のブログの初めてです。日本語がめっちゃ不味い僕は、このブログの範囲に 必ず 意味の誤解、 言葉、文法の間違い、エラーがあるはずですから、読んている方々に嫌がせるかもしれません。許せてくださいね^^
数日前、日本経済産業省ののインターンシッププログラムを完了しました。日本でのインターンシップ活動といっても、遊びに行ったばかりですから、日本の2ヶ月の旅と言われたほうがいいと思います(:))。自分が見た、聞いた、感覚したこと、学んだことをこのブログで話したいと思います。
さあ。 どっちから話すかな 。
2ヶ月前 、日本語学部に卒業した僕は、日本語に関係がない仕事をしていた。 2ヶ月前 、 自分にとって 、日本はまだ遠い国で、曖昧な定義だった。2ヶ月前、日本の好きなことははっきりなかった。 しかし、 それは2ヶ月前のことだった。 2ヶ月間 で、会社の一つでインターンをして、日本のあちこちに行って、新しい人に出会って、話すチャンスがあった。楽しかったか寂しかったかと言わず、プログラムの元々の意味が何だろうかと言わず、 この2ヶ月は、 僕にとって、なにしろ、今までの考え方を全く変えさせた。
僕のストリーは。。。
先に僕のつまらない話を聞きましょうか。^^
4年前に、出願書類で、ハノイ大学の日本語学部(日本語通翻訳の専攻)を登録しました。応募理由は簡単、そのほうが好きな他の専攻がなかった。 日本語か?日本か?実は、あの国に特別の興味を持っていなかったけど、結構人気がある大学、流行っている専攻、就職しやすい分野と聞かれて、いっぱい考えなく、ついに選びました。その時、まだ子供っぽいの考えがある僕にとって、経済、情報技術、教育などに興味を持っていなく、将来のやりたい仕事が曖昧で理解しにくい定義だった 。それに、小さいごろからずっとGHIBLIのアニメを見て、「七つの大罪」とか「ナルト」などの漫画も読んで、村上春樹の小説が好きなので、入学したあと、日本が好きになるかなと思いました。
しかし、逆に、入学した後、後悔しました。(笑)
あの言語は絶対無理だろう
ティエン
「そんなに難しい言語はこの地上にあるか」「なぜこんな漢字があるか」「聴解できない」「日本の面白いことはない!!!」という大学の最初の1年間の考えだった。語彙、文法、文化はベトナムのことと比べ、まったく違って、怠け者の僕はこの新しいものに会わないはずと思いました。そこで、ほかの同級生と比べると勉強がめっちゃ不味くて, 後に残らせ、この世界の中のどこかに迷い込んでしまうような感じがして、 ストレスが溜まり、 将来を考えて眠れない夜があり、諦めるかとの考えもあり、結局、日本のことを嫌がる時期がありました。
あの日本のことが嫌いけど、自分の人生をやり直す(別の大学とか専攻とか入学する)ほうがもっと嫌がったから、ちょっと我慢して、夏休みをかかって 再び勉強に戻りました。良かったら、物事が順調に進んで、何となく大学のペースに追いつきました。それで、勉強に続いて、前ほど一生懸命やらなかったが、期間通りに卒業しました(自分にとって今まで最高の成果だった(笑))。けど、大学に出た後、「必ず大学専攻に関する仕事を就職しない!」と決めました。日本語が不味い、日本企業のみっちりと働くこと、日本の文化が好きではないことなどに、勝手に仕事をする横着な僕は全然合わない、それに他の 興味分野 があること と確信していました。
僕の話はその以上ですよ。
本文に戻りましょう
以上に書いたもの通り、日本語学部に卒業したと言っても、日本に留学、就職、滞在などの考えは全然なかった。けど、日本に来て、インターンシッププログラムに参加することにしました。理由は簡単、自分がまだ若くて(いつも友達に悲しいお爺さんと呼ばれるけど)、今の生活がつまらないなと思って、別のことを体験したかった(後、参加費は1 セントもかからなかった^^)。必要な手続き を完成し、数面接を受け、合格して、それで9月30日に来日した。自分にとって、この旅は特別な意味を持っていた。4年間の大学で勉強したことを始めて使え(全然勉強しなかったけど)、 全くの違いところに暮らし、 生まれたから今まで最初の外来旅というチャンスだった。 時間が経つのが早い 、日本に到着したばかりかと思って、今もうここに座って、この旅の自分に対する意味を深く考えて、自分のことを悩んでいます。
持ってきた荷物は。。。
始めて外来の旅から、持ってくる必要なものは全然分からなくて、日本に留学した先輩にアドバイスを聞いてみました。 アドバイスは「お前さあ、準備しなくてもいい。いっぱいのお金を持ってください」だった!!!!
確かに有益なアドバイスだった!いっぱいお金があれば、どこに行っても十分じゃないか:)。
結局、持って来たものはすごく軽くて、服、 数冊 のベトナム語の本、ウクレレ、少しのお金、後は1スーツケースのコーヒーだった。全然仕事のために来る人のイメージがしないだろう。
人によって、大切なものは違います。僕にとって、大切なものはこの以上です。良かったら、不足な感じがなくて、この2ヶ月で持って来たものはびったりだった。本を毎日電車で通勤する時読み切って、遊びに行く又は寂しい時にウクレレを使って、それに何となく 1スーツケースのコーヒー を全部使い切った!
日本のことは。。。
4年間の授業で学んだ日本ことは遠くから撮られた日本の全体の風景写真ということなら 、この2ヶ月の体験したのはこの国の詳しく物事が見えるように ズームされたものだった。ビックリされる良いことがいっぱいあった。 確かに、日本と言えば、アニメ、漫画、忍者、サムライ、温泉などのような文化が世界中で人気が、日本のことはそれで終わりではありません。僕にとって、その日本なことというのは自然がきれい、 歴史が面白い、 空気がいい、交通が便利、 店のデコレーション 、素晴らしい古い建築 、 おしゃれな飾りもの 、落ち着く雰囲気のバー、日の出がめっちゃ素敵(さすが日出ずる国)なことだった。
ある秋の日に、一人旅の京都に行ったことがあります。その午後、名前が分からない川岸で座ってゆっくり周りの景色を楽しめた。 遠くから小さな大道芸人のギータが聞こえた。あちこちにある紅葉。長く伸びた空の雲。向こう岸に着物を着ていて、笑顔で話している女の人の数人。全部、素敵な見事をつくりました。
村上春樹の小説で日本の描いてあったものは嘘ではなかった(笑)。
暇の時、すぐカメラを持って、どこかに行くことにした。時々は高円寺、目黒、下北沢、神保町など、時々は行ったことはない所。また、時々、あの日にどこに行くか僕も分からなく、「素敵な景色がいつもお前に待っているよ」と 自分説得し、 「必ず外に出る」と知っていただけだった。
日本での職場
インターンシッププログラムに参加する前に、これは僕の一番心配する課題だった。日本人が仕事に対して一生懸命、 事務服 、残業、規則厳し、仕事の高い効果などというイメージがした。どうしようかな。。。今回のインターンは結構大きな会社(やはり日本っぽいな会社と思う)にマーチングされて、それにやっている仕事と全く違って、慣れるかなと悩んでいた。「たぶん大丈夫ですよ。そんなほどではないよ。2ヶ月だけだから」と自分に安心させた。しかし、入社した後、会社の運用仕組みは大体イメージの通りだった!!!
イヤホンもマイコンピュータも使いないことに、仕事時間になると職場がひっそりに、誰でも仕事に夢中になるようになった。それはベトナムにいた時と全然違いました。ベトナムでは、みんなゆっくりして、生活を楽しんで仕事をやるようにしているという働き方があります。
特に、制服だった。元の会社で毎日着ていたけど、持ってきた4枚ズボンはこの会社の出勤のためなら、全部「バツ」で、シャツもほとんど会社で使えない、ピアスを抜かなくてはいけないと担当者から言われた。残っているものはただスーツ、ネクタイ1枚、ワイシャツの2枚しかなかった。(後、他の服を買いに行かなければならなかった)大変だった!
最後まで、そんなに大変なことではなかった。毎日、今日の服について、あまり時間がかかなく、考えなく、逆に便利なことになったと思います。それに、誰でもスーツを着て、社内の人が遠く離れるような感じがしなくて、誰でもカッコイイように見えるだろう。(僕もスーツに合うかな(:))
仕事に対して、日本人がすごく重んじるという印象があります。「 残業」、「厳し 」などの先に言った言葉の上、本質、それは高い責任、心遣いという態度だと思います。また、仕事でチームを分けで、一緒にやって、昼ご飯も一緒にして、大きい問題から小さいまで一緒にすることを見ました。そこで、日本の会社でチーム精神は優先と重視するかなと思います。だんだん、別の見方になって、そんなに悪くなく、慣れたら、自分が上手く仕事をやれる気がした。
日本人は
日本に来る前、これは一番知りたいことですが、帰った後、一番言いづらいなことになりました。2月で、いつもあちこちに行く僕が色んな違う人に出会う機会があった一方、 2ヶ月しかなかったので、 日本人(特に同年代の人)と深く話しする時間もあまりなかった。そういうわけで、自分が出会って接した人(町で前に知らなかったおばあちゃん、 電車で優先したおじいちゃん、 バーで隣に座っている男性、バーテンダー、カフェーでお喋りした人、会社の担当者、会社の人。。。)の範囲内で自分の感覚と 話をしたいとお思います。
初めての2週間で電車の乗り換え、道すじがまだ慣れていなく、困難な時間だと思います。ある日、迷ってしまったと思い、近くにいる歩行者のおばあちゃんに道を尋ねた。細かく説明してもらいました。はっきり理解しなかったけど、ありがとうって、続きました。少し歩いて、うしろにあのおばあちゃんの呼んでいる声がまた聞こえた。自転車に乗って、僕を追いかけるおばあちゃんは「違う違う、この道ではなく、あちら。。。」と言った。まさか、前からずっと、安心しなくて、僕が説明した通りに行くかどうかに観察して、道を間違ったと見ると、すぐ声にかけるために追いかけた。そんなほど親切か、びっくりしました!
入社した後、思ったよりあたたかい会社の人からの歓迎及び世話をもらいました。仕事の中で自分のつまらない話を聞きに行き、交流チャンスを作り、少しずつ細かいことを教え、 いっぱいの プレゼント、世話をもらいました。誰でも用事があると僕は知っていますよ。それに対して、僕がやっていることは大したことではないと信じていた。なぜかこういうことをもらったか、今までもはっきり理解できなかった。その人にいつも、心からのありがとうの言葉を伝えたいなと思います。
最後に、運よく素敵な担当者の3人に出会った。あの3人は人によって違う性格があるけど、細かく一つ一つに沢山の日本のことを教え、僕の話と悩みを聞き、僕の生活を大変に感心してくれた。ペラペラではなかった僕にとって、時々彼らは考えの通訳者のようだった。彼らのおかげ、2ヶ月は結構順調に行けました。それに、毎日仕事、お喋り、ランチするのを通じて、日本の全体的なイメージが自分で作られた。
けど。。。
楽しみがあるとともに、寂しみも存在するこの人生はそういうものだろう。僕の2ヶ月はまったく楽しい時ばかりではなく、寂し、離れたどこかの所に迷い込んてしまうような感じがするときも何とか経過したと思います。いつも一人でと言っても、家族、親友な友達に会いたい気がした。日本のことに合わないという時もあった。僕がに出会った人は日本人がとても親切と感じさせましたが、それに対して、異文化か自分の格別な性格かという原因で、自分がちょっと【グイグイ過ぎ】かな、他人に邪魔するかな、と時々悩んでいました。また、誰でも、自分の世界の一つがあって、その世界に自由に入ることは簡単できなかった。話しかけ、一般的なお喋りは難しくないけど、もっと深く関係をつくりたいなら、やっぱり60日は十分ではないと信じています。日本で、人のプライバシーとあの自分の世界を尊敬する、それは大切なこと、日本社会の運用仕組みの要素の一つと分かってきた。
たまに、話ししたい人と話すチャンスがあったけど、時間の限りという考えを頭から追い払わなかったので、いっぱい話ししたくて、考えの整頓ができず、正しい言葉も出せず、結局何も話さなくて済んだ。(時々は通勤路での5分一緒に歩き、帰る道での10分の話、時々は具前に会って挨拶するだけ)。そのとき、自分に大変がっかりしました。
僕は。。。
何といっても、自分にとって、この2ヶ月は特別な意味を持ちました。やっと、4年間で学んだことは役に立った。いっぱいの新しい知識、体験を取りました。従って、自分の考えもだんだん変わっていく。元々日本語を勉強する気がなかった僕は、今もっと勉強したがる!自分の意見、考え、感覚をちゃんと伝えないことは本当に切ないと見つけました。どうやって、言いたいことは相手に(お客様、友達、それに 惚れる人(:))わかっててもらう、それは目的の一つになりました。
また、異文化、違い点があちこちありますけど、2ヶ月間で、この国は、そんなに合わないわけがなく、逆に、面白いことは多いと見つけました。だんだん日本が好きになった。自然がきれい、便利なことが多い上、やはりこの国で会った人こそは僕の考えのかわりの理由だった。将来は誰も知らないものです。多分日本にまた戻った後、つまらなくたって、嫌がってしまうかもしれません。けど、あの日本のことにもっと見たくて、あの人たちをもっと知りたくて、もっと理解したい!ということで、多分、いつか、戻って会うのはいいなと思います。^^
2019年12月18日
TA DUY TIEN
Vietnam
https://jamar.vn/cong-viec/hoc-tieng-nhat-thuong-mai-ra-truong-lam-gi-21.html