資本主義を極限まで加速させて、薄くする。part 2
1. はじめに
資本主義という社会システムは、いまや世界的に浸透しており、その枠組みから後退させることは極めて困難である。なぜなら、経済活動や日常的な意思決定だけでなく、私たちの価値観や生活様式までもが資本主義的ロジックによって支えられているからだ。ここでは、資本主義を「規範」として捉え、規範が肥大化・抽象化していく過程をグループダイナミクスのアナロジーで説明するとともに、現代資本主義が抱える「実質の利害関係者」と「資本市場における利害関係者」とのずれについて考察する。
2. 規範の肥大化と抽象化
グループダイナミクスにおける規範
少人数で構成された集団(たとえば2〜3人、あるいは10〜20人程度)では、規範は非常に具体的で厳格に機能しやすい。グループ内での関係性が密なため、誰が何を行うか、どのように貢献するかが直接見えやすく、逸脱行為もすぐに検知される。一方、グループサイズが大きくなるに従って、規範は抽象的になり、意味が希薄になりやすい。これは「第三の身体」論にも通じるものであり、相手との関係が直接的であればあるほど規範は具体的に機能し、規模が拡大するほど「規範そのものの実効性が薄れる」という構造がある。
3. 「包摂力」としての資本主義
一方で、資本主義は本来「異なる存在」を取り込みながら成長してきたという面がある。たとえば新しい技術やサービス、あるいは新しい価値観すらも市場という場に組み込み、購買力や投資によって牽引してきた。環境問題なども、自然資源や自然環境を「外部不経済」と見なすのではなく、市場の計算プロセスに取り込みさえすれば、持続可能性を高められるのではないかという期待がある。
これまで資本市場が見捨ててきたあらゆる他の価値基準においても同様である。
ただし、この「包摂」自体が利益追求のロジックによって進む以上、自然環境に価値をつけて保護するという構図にも限界がある。あらゆるものを資本主義の文脈に取り込むことで、それ自体が「抽象化された商品や投資先」になり、元来の文脈が失われるリスクもある。カーボンクレジットなどに、そこまでしっくりこないのはこれが理由である。問題は、価値がないものに強引に法律によって値付けを行なっているということである。資本市場の単位をもう少し細かく区切れば、今資本市場に取り込まれていないものも、うまく取り組むことで外部不経済や価値の一元化を回避できる可能性がある。
4. ローカルなコミュニティにおけるファイナンス構造
4-1. 京都の花街の例
かつての京都の花街(あるいは他の地域コミュニティ)では、商店や事業者同士のつながりが非常に密接であった。たとえば布屋が潰れれば、服屋にも打撃になり、それが舞妓の衣装や文化全体に連鎖して悪影響を及ぼす。こうした明確な関係性が共有されていると、お互いにファイナンスしあうインセンティブが生まれる。
信用金庫などは、地域の商工業者同士のこうした密接なつながりを前提として、「相互補完の仕組み」をメタな視点で扱う機能を果たしていたと言える。
4-2. 小さなバリューチェーンと大きな市場
このようなローカルなコミュニティに基づくファイナンスの仕組みは、参加者にとって具体的かつ直接的な利害関係を伴うため、規範や共通善を維持しやすい。しかし、現代の資本主義では、グローバル規模の金融マーケットの影響力が圧倒的に大きくなっており、地域コミュニティの連帯や相互補完によるファイナンスは相対的に脆弱化している。
グローバル規模で資金を調達できるようになったことは、産業に流動性をもたらし、世界的に見て効率の良いビジネスモデルが素早く社会に提案されるという利点がある。一方で、実際の利害関係者(地域の住民や労働者など)が投資家と同じように意思決定に参加できるわけではないという欠点もある。
5. 現代資本主義の「所有権」と「意思決定」
5-1. 実質の利害関係者 vs. 資本市場の利害関係者
現代の資本主義では、投資家(株主)が企業の支配権=所有権をもつ仕組みが一般的だ。投資家が資金を提供しリスクを負うからこそ、見返りとしてリターンが得られるという論理は、資本主義の基本原則として妥当である。しかし、労働者やユーザーといった企業活動の当事者も、事業の継続やサービス品質に大きな影響を受ける、いわば「実質的な利害関係者」であるにもかかわらず、企業所有や意思決定に直接関与しにくいという構造は、近代以降さらに顕著になった。
5-2. 終わりなきリターン追求とガバナンスの不在
投資家にリターンを渡すこと自体は、リスクに応じた当然の報酬だが、利益が上がり続ける限り「無限にリターンを追求し続けられる」構造にもなっている。企業はグローバルな市場から集めた投資家の資金を背景に、さらに活動を拡大し、労働者や消費者が築いた価値の多くが投資家へと還流する。
本来であれば、労働者やユーザーといった“現場の直接的な利害関係者”が事業継続やサービス提供に欠かせないリスクやコストを負担している面もある。それにもかかわらず、ガバナンス(統治権)が彼らにはほとんど与えられないのであれば、コミュニティ全体での持続可能な価値創造という観点からは違和感が残る。
6. 今後の視座:所有・統治・包摂の再設計
6-1. ローカルとグローバルのハイブリッド
資本主義の効率性やグローバルな流動性のメリットを活かしつつ、ローカルなコミュニティに即した利害調整やガバナンスを再構築する必要がある。信用金庫のような役割を、より広範囲に拡張できるか、あるいはクラウドファンディングなどを活用して地域のステークホルダーが直接出資やファイナンスに参加する仕組みを整備する、といった可能性が考えられる。
6-2. 新たな所有モデルと社会的企業
労働者やユーザーが部分的に所有権を持つ「協同組合型」の企業や、利益の再投資を明示的に制度化する「社会的企業(ソーシャル・エンタープライズ)」のモデルなど、近年は資本主義の枠組みの中で所有形態を多様化しようとする動きが見られる。こうした試みは、資本主義のリスクとリターンのロジックを大きく壊すことなく、実質的利害関係者にもガバナンスを与える可能性がある。
6-3. 自然や環境の取り込み方
自然環境や生態系を「資本主義の枠組みに取り込む」と一口に言っても、その評価手法や法整備など課題は多い。カーボンオフセットや自然資源への価格付けなどの試みは進んでいるが、自然そのものを数値化して経済ロジックに組み込むことが本当に持続可能性を保証するのかは依然として議論の余地がある。自然や環境を単なる「付加価値の源泉」ではなく、社会全体の基盤として捉える視点が必要であり、さらにはそれを必要な投資対象と見做させるような市場設計が重要である。
7. おわりに
資本主義は、市場を通じた社会計算プロセスとして高い効率性を発揮してきた。結果として、地域コミュニティや直接的な利害関係者の声やリスクが十分に反映されにくい構造や、企業の所有権・統治権が投資家に偏りすぎる問題が生じている。
しかし、資本主義そのものを大きく後退させることは難しい以上、従来の枠組みの中でいかにローカルな当事者を意思決定や所有に取り込むか、あるいは自然環境や未来世代といった「外部化されがちな利害関係者」の声をどう反映させるかが問われている。
こうした課題意識から、所有権やガバナンスの再構築、社会的企業や協同組合モデルの拡充、新たな金融手法によるローカルコミュニティの活性化など、多様な試みが世界各地で進みつつある。今後、資本主義という巨大な規範に対抗・代替するというよりは、その内部における新たな設計を通じて、より公正で持続可能な仕組みを探ることが重要になっていくだろう。