責任
実に「最初」という言葉は素晴らしい。
会社で今まで事例のなかった案件についてゼロから書類を作ったという事は法律等々が変わらない以上、恒久的に自分の文章がテンプレートになるという事である。勿論、最初から完全ではない。
上司が目を通し、彼の目から見て指摘事項がないか確認する。
その言い草に少し苛立ちを覚えるものの、指摘する事が彼の仕事だから仕方がない。それが仕事というものだ。
北村は意気揚々と上司に書類が完成したと告げた。
「すまんな、北村。忙しいから見られん」
ときた。
北村は閉口する。
急ぎの仕事だ。運の悪いことに受け持っていた上司が病気で休んでいるから、誰かが確認しなければならない。
幸いこの部署は作るに作った管理職が六人もいる。一人休みで五人か。一人駄目であと四人だ。
六人とも責任を押しつけ合っている風があるけれど、誰かが承認すれば問題ない。もし、駄目で部長に直接持って行く事になったとしても全て説明出来る自信が北村にはあった。しかし、一抹の不安もあるので、油で固めた七三に汗がにじんでくる。
「ごめんな。今、忙しいねん」
二番手も駄目だ。
明らかに見たくないという顔をしていやがる。
新しい書類というものは恒久的に使う事になるため重要だ。その責務を負いたくないのだ。
そんな顔はかみさんにセックスをねだるだけにしやがれ畜生めと心中、悪態をつきながら次に行った。次は本命だ。小汚いが知識はある。
「俺より下の奴に見て貰え。それが俺の仕事か?」
彼にはある程度皮肉も言えるから、「俺より給料何倍も貰いやがって当たり前だ子泣き爺」と罵った。子泣き爺は「取り敢えず段階を踏め」と苦笑した。しかし、本命は本命で仕事が多いからこれは仕方がない。
四番目はてんで駄目だ。こいつは胡麻擂りで成り上がったから胡麻擂りしか出来ない。誰にも相手にされなくなったから最近では部下である北村にまで胡麻を擂る平目野郎だ。何でも上に据えなきゃ気が済まない。
「え、お、俺に見たかって、わ、分からへんから、ちょ、ちょっとそのへんに……」
「分かりました」
「あ、それと……」
「もういいです」
こいつは胡麻擂りと話が長い。付き合うとよるの23時まで口だけ動かしている。平目がエラを動かす様に似ている。動かすにしても平目の方が生きるためだからまだ偉い。
最初は付き合いに付き合って会社の便所で倒れたから、さっさと逃げた。
五番目も難しい。
「北村君で分からんものは俺にも分からんで」
こいつは転職組でうちのやり方に慣れていないから、仕方がない。
最近はこれを盾にするので嫌がられつつあるが本人は気がついていない。
結局、その日に仕上がらず病み上がりの上司にあれこれネチネチ飛ばされながら、完成した。
さて、部長のお目通りである。
「遅い」
一言目がそれだ。
しかも機嫌が悪いらしい。こいつは別の事で腹が立つとぐっと堪えて、別の話が出来ずそのまま不機嫌をもってくる。
「こんなことも一発でよう出来んのか」
北村は流石にかちんと来た。
他の五人は素知らぬ顔。
「てめえの頭でそれを作れんのか?え?」
と言ってやろうと思ったが、病み上がりの上司が板挟みになるだけなので止めた。
「如何に責任を取らんで済むようになるか考えなあかんで」
病み上がりは飄々と言う。
それはもう先に書いた通り北村は散々見ているから笑う事しか出来なかった。
だが、それをして何になるというのか?
よくもまあ、宴席で「男の生き方」なんて述べられたものだ。女々しい事この上ない。これに毒されると自分が何も出来なくなってしまう。家に帰っても不満があれば家族のせいにしてしまうのだろう。
「北村は来るけれど、他は自分に着いてきてくれない」
と嘆く。
「俺も着いてきてないわ」
と北村は内心煮えくり返るが、黙々と飯を食っている。適当に相槌を打てばいいから、女の相手をするより楽である。飲食代は向こうが持つのだから。もし、割り勘の上司がいるなら、損をするから酒や飯は断ってほうがいい。割り勘までして説教を聞くなど時間と金の無駄である。
サラリーマンなんて代わりなどいくらでもいる。
その事実を無視して仕事で承認欲求を満たそうとするから、ずれが生じるのだ。
北村は煙草にこだわりがある。ありとあらゆる煙草を試している。
変わっている奴だ。
と会社では言われるが、何なのか。煙草を楽しんでいるだけではないか。そんなことを宣っている奴は生きることになんのことだわりもないから、人と同じモノしか選べないのだ。
結局、書類は会社のトップからも「これはどこに確認して正しいのか?本当にいいのか?」とふってきた。部下が出任せを言えばそれで承認してしまう。上でも腹を括れない。
「全く馬鹿馬鹿しい話だ」
北村は呆れ返るが、この馬鹿馬鹿しい会社から金を貰って食っている。
自分もまた阿呆だと握った万年筆で手の甲を突き刺した。