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6話 百合の香り

 朝起きたら奴がソファーの上に寝ていた。あろうことか、にっこり笑って毛布を抱き枕のようにして抱いて寝ている。…気のせいか?私は昨日コイツに6時半に起こしてくれと頼んだはず。
 嘘だよね…。そう思いながら時計に恐る恐る目を向けると。

 現在7時10分。

「セナ!!起こしてくれるって言ったじゃん!馬鹿!」
「何?騒がしいなぁ。」
 のん気に目を細めながら私を見ているセナ。茶色の髪は相変わらず綺麗に輝いている。
「もう7時過ぎてる!どうしてくれんの!」
「オレ、『起こしてあげてもいい』って言っただけで、『起こしてあげる』とは言ってないよ?」
「言い訳しないでよ!昨日自慢げに『オレは頭脳型だから体内時計も完璧なんだ』って言ってたでしょ!?」
「オレを目覚まし時計として使おうとした理真ちゃんが悪い。」
「このクソったれアンドロイド!」
 何てアンドロイドだ。性格がひねくれ過ぎていて腹が立つ。
 私は机に置かれていた食パンを1枚、袋から取り出して食べながら着替えを始めた。
「ねぇ。クソったれアンドロイドって、オレのことだよね?」
 のん気にソファーから私に話しかけるセナ。私は苛々して、彼に「ターミネーター気取りの変人アンドロイド!」と言ってやろうと思い、ソファーにいる彼に目を移した時だった。そこにはあのニンマリと笑うセナではなく、たくさんの過去を背負っているような、彼の大きな背中が目に飛び込んできたのだ。
「クソったれアンドロイドだけど、オレ、理真ちゃんの嫌がるようなことはしないよ。」
「…律義。」
「ハッハッハ。いいから早く着替えな。」
 …ヘンなアンドロイドだ。しかし私は思った。私自身、学校に行くために急いでいる。だが彼は?
「ねぇセナ。仕事は?」
「ん?オレ基本ないよ。ハチコウが仕事持って来るのをひたすら待つだけ。」
「え。」
「基本無職みたいな?ねぇ、何時頃帰って来る?」
 暇…。お前は暇人なのか。ならどうして!
「どうしてこんな大きいダンボールの中に溢れるくらいの名無しのUSBがあるわけ!?自分でやればいいじゃん!」
「えー。」
 私は制服にさっさと着替え、机の下へ納められていた例のUSB入りのダンボールを引っ張り出し、彼に見せつけた。背中を見せていたあの律義な彼はどこへ行ったのか、今は人間を苛立たせるような半開きの目で私を見ている。
「そしたら理真ちゃんのお仕事がボーンになるじゃん。」
「ボーンって何だよ。」
「それよりいいの?もう7時半過ぎてるけど。」
「うるさい!分かってるんだから焦らせないでよ。」
 USB入りのダンボールを机の下へ滑り込ませると、私大きな鏡のある洗面所へと駆け込んだ。

いつものしつこい寝癖を直し、洗面所を出ると、そこには白いTシャツに黒いジャンバーに着替えたセナがいた。私はそんな彼に構わずスクールバックの中身をチェックすると、そのまま事務所から出て行こうとした。
「送ろうか?」
 茶色の髪が朝日を浴びて、更に輝いている
「車ないくせに。」
 振り返って彼を睨んでやった。
「オレ、いつ車持ってないって言った?」
「え?持ってるの!?だ…だって免許は?」
「アンドロイド、なめないでね。」
 セナは車のキーを持ち、ぐるぐると回し出した。
免許…免許は!?あるのか?ないのか?一体どっちなのだ!?コイツ、不安がる私を見てニヤニヤと笑っている。
「あの、免許は?」
「持ってる持ってる。戸籍がないから大変だったけどねぇ。」
 ケラケラと笑いながら長身の彼は私を追いこして事務所から出て行った。私はセナが免許を持っていることに安心した半面、戸籍がないのにどうやって取得したのだろうという疑問に首を傾げていた。

 工場の隣にある錆付いた車庫の中に、いつかハチコウが運転していた黒い車があった。セナがシャッターを開けると、私はスクールバックを肩に掛け直して、後部座席へと向かった。
「あれ?まさかの後部座席?オレの運転怖いの?」
「いや。そういうわけじゃなくて。」
「なら前に来たら?わざわざ遠くに座らなくても。」
「じゃ、失礼します。」
 運転席に乗り込んだセナの隣に、私は乗り込んだ。しかしはっとした。
「ちょっと待って。やっぱり歩いて行く。」
 セナが首を傾げる。
「先生とか、友達とかに見つかったらヤバいし。それに2人で暮らしてるなんてバレたら処分科されるかも…。セナのとこ、アンドロイドなんて信じてくれないだろうし。」
「気になるんだったら、学校から少し離れたところに降ろすけど?」
 シートベルトを締めながら、セナは明るく笑った。こんな笑顔をされてしまったら、もう断ることができないじゃないか。
「じゃ、学校の近くのコンビニまで。」
「了解。」
 セナは安心したように答えると、車庫から車を発進させた。

 目的である学校の近くのコンビニまで、あと僅かのところで赤信号に引っ掛かってしまった。
 私の隣にいるこのアンドロイド。案外運転が優しい。信号が黄色でも、無理して進もうとしないし、渋滞でも他の車を入れてあげている。
「よく入れるよね。他の車。」
「そう?」
「うん。それに、無謀な運転しないし。アンドロイドって言ったから、すごいことするのかと思った。」
「無謀なことして人を殺すと、焼却処分されるっていうのがアンドロイドの規則だから。」
「そうなの?」
「理由はどうあれ、人を殺すとオレらも壊されるの。まぁ、当然だよね。」
 ハンドルを握りながら、セナは言う。
「そう言えばお父さんとお母さん、どうして交通事故になんて遭ったんだろう。」
 そう独り言のように呟く私を見て、セナは顔を顰めた。
「叔母さんから…聞いてないの?」
「う…うん。ほら、あたしが工場住んでも心配して連絡もよこさないし、ときどき様子見に来るって言ってたのも、結局は嘘だったみたいでさ。あたしの叔母さん、少し変わってる人だから。」
「本当に独りになっちゃったんだね。理真ちゃんは。」
 悲しそうに目を細めながらセナが私を見つめてきた。
「まぁね。あたし友達もいないから。でも変人アンドロイドならいるし。」
「オレ?」
「言ってたじゃん。『頼もしいオレがいるでしょ?』って。あたし、セナに雇われてよかったよ。」
「嬉しいこと言ってくれるじゃないの。」
 セナは私の言葉に一瞬驚いたような目をした気がした。しかしきっと私の勘違いだったのだろう。ちゃんと目をやったときには、ニヤリと笑ってアクセルを踏んでいた。

「帰ったら残りのUSB、片付けるから。」
 コンビニの駐車場で車から降り、彼にそう言って学校へと向かおうとした。
「何時頃帰って来るの?」


「え?たぶん4時近くになると思う。」
「迎え来ようか?」
「い…いいよ!歩いて帰れるから!」
 これではまるで付き合っているようではないか。私は乱暴に車のドアを閉め、学校へと向かった。

 離れて行く制服姿の理真を、セナが車から見送っていると、携帯電話が鳴り出した。こんな朝早い時間に電話を掛けてくるのはハチコウと、もう1人しかいない。
「…有里香?…うん。今行くから待ってて。」
 セナは携帯電話を助手席に投げると車のエンジンを掛け、そして混み合う道路へと走って行った。

 数十分車を走らせると、おしゃれなアパートの近くに車を止めた。セナはエンジンを切り、鍵を抜くとアパートの中に入り、2階へと向かった。彼は慣れた様子である部屋のドアの前に立ち止まり、呼び鈴を押す。
「は~い。」
 3秒も経たずに中から明るく、落ち着いた女性の声がした。セナはズボンのポケットに手を入れたままドアが開くのを待った。
「…セナ。」
 部屋の中から出て来たのは美しい顔をして優しく笑う、20代前半の女性だった。濃く茶色の髪は綺麗に巻かれ、朝とは思えないほど彼女の瞳は輝いていた。


「珍しいね。仕事休みだなんて。」
「もうセナ。この前仕事中にちょっかい出しに来て、あの後あたし先輩に怒られたんだからね。」
「いいじゃん。受付嬢ってのは見られるためにいるんでしょ?あんな短いスカート着ちゃってさ。」
「ちょっかい出されるためにいるんじゃないの!いいから。ほら入って。」
 セナは当然のように彼女の部屋に入って行った。静かに閉まったドアからセナがすぐに出て来ることはなく、それを打ち消すかのように鍵が閉まった音がアパートの廊下に鳴り響いた。


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